日本歴史地名大系 「三面村」の解説 三面村みおもてむら 新潟県:岩船郡朝日村三面村[現在地名]朝日村三面末沢(すえざわ)川が北流して三面川本流に合流する地点にある。三面川を挟み西は前(まえ)山(七七七・六メートル)、北東は宇連萩山(六一二・六メートル)に囲まれた山間の村。山吉家系図(上杉家蔵)によれば三条の山吉氏の一族山吉源助は、永正七年(一五一〇)越後に攻め入った関東管領上杉顕定に応じたことから、名を小池盛藤と改め、妻子家臣を連れて村上の山奥「三表」の地に隠れ住んだとある。この地は現集落より約四キロ上流の字黒淵(くろぶち)にあたるとされる。文禄(一五九二―九六)頃の瀬波郡絵図には「大国但馬分三面村 下」とみえ縄高九石九斗一升四合・家六軒、「あら所ヘ文四ノ年罷出候」とある。また「岩崩ヨリ三面村ヘ五十里」と記される。近世は村上藩領。正保国絵図では高六〇石余。村上城下から三面川沿いに小国(おぐに)(現山形県西置賜郡)へ至る山道が通じており、小池氏の子孫が口留番所の定番を勤めたという。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by