鎌倉期から江戸期の城。埼玉県行田(ぎょうだ)市本丸にあり、湿地帯に囲まれた典型的な水城(みずじろ)。鎌倉期忍氏が拠(よ)り、室町期に成田氏が拡張したという。成田氏は戦国期にかけてこの城を中心に成長発展し、山内(やまのうち)上杉氏、上杉謙信(けんしん)に属し、成田長泰(ながやす)の代に後北条(ごほうじょう)氏に降(くだ)り、1590年(天正18)の豊臣(とよとみ)秀吉の小田原征伐のとき、石田三成(みつなり)の水攻めにも開城せず、「忍の浮城」の名を高めた。のち、徳川家康の関東移封後、松平家忠(いえただ)が入城して修築し、何人かの城主の変遷をみたが、1639年(寛永16)からは阿部氏が9代、さらに1823年(文政6)からは松平(奥平)氏が5代世襲して幕末に至った。城跡は現在、諏訪曲輪(すわくるわ)の空堀の一部と土塁が残り、沼地が水上公園となっている。
[小和田哲男]
…文明年間(1469‐87)ごろ,成田親泰が山内・扇谷両上杉氏の争いに乗じてここに築城して以来,成田氏代々の居城となった。1509年(永正6)ごろここを訪れた連歌師の柴屋軒宗長(さいおくけんそうちよう)は,忍城のようすを〈水郷なり。館のめぐり四方沼水幾重ともなく,蘆の霜枯三十余町四方へかけて,水鳥,雁多く見えわたるさま云々〉(《東路の津登(あずまじのつと)》)と記している。…
※「忍城」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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