日本歴史地名大系 「上呂村」の解説 上呂村じようろむら 岐阜県:益田郡萩原町上呂村[現在地名]萩原町上呂桜洞(さくらぼら)村の北にあり、西流してきた飛騨川は北端のサイラノで山之口(やまのくち)川を合せ南に向きを変える。村域は西方の飛騨川と東の阿寺(あでら)山地に挟まれて南北に細長い。川沿いに飛騨街道が通る。村名は東山道飛騨支路の上留(かみつとまり)駅が置かれていたことにちなむとされる。応永一九年(一四一二)八月一五日付の久津(くづ)八幡宮蔵社殿造立棟札に「益田郡上呂郷」とみえる。大永三年(一五二三)八月三日「上櫓郷舳腹」の西了に、同日に「上櫓郷小坂」の善空に、翌四年六月二五日には「上櫓郷小坂」の西善に絵像本尊が与えられており(大永三年八月三日光雲寺蔵絵像本尊裏書など)、中世の上呂郷は現萩原町・小坂(おさか)町一帯をさすとみられる。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by