日本歴史地名大系 「光雲寺」の解説 光雲寺こううんじ 山口県:阿武郡むつみ村片俣村光雲寺[現在地名]むつみ村大字片俣 金谷南霊山と号し、臨済宗南禅寺派。本尊は地蔵菩薩。明治三年(一八七〇)片俣(かたまた)村内金谷(かんだに)の南清山霊光(れいこう)寺と御舟子(みうなご)の仙齢山養雲(よううん)院が合併して現寺号に改称した。霊光寺の創建年時は不詳であるが、当地の鎮守天神社の社坊として建立されたという。天神社は「当所之人民老若男女、又は鶏狗牛馬に至る迄不慮に頓死仕候事其数を不知、或時は淵川へ身を沈めなど災害多くに付、為祈祷百万遍念仏致執行、夫より地下中安穏」になったことにより祭祀されたという(注進案)。 光雲寺こううんじ 奈良県:高市郡高取町越智村光雲寺[現在地名]高取町大字越智小字南西久保曾我(そが)川東岸に所在。越智山と号し、黄檗宗。本尊釈迦如来。もと興雲(こううん)寺と称し、越智氏の菩提寺であった。室町初期、越智栄家が創建し、雪江門下四哲の一人景川宗隆を開山とする。その法幢は門下悦堂宗懌らによって後世に伝承された。当寺は大和方面へ禅宗が進出する拠点となったが、南都諸社寺の旧勢力に阻まれ、ほとんどその教線を伸張することはできなかった。越智氏没落後は一時衰えたらしいが、天和年中(一六八一―八四)中興開山鉄牛が来住、越智氏の石碑八基を改葬して復興に努めた。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by