上大町村(読み)かみおおまちむら

日本歴史地名大系 「上大町村」の解説

上大町村
かみおおまちむら

[現在地名]大町町大字大町

標高四六七メートルのひじり岳を北の境とし、南は長崎街道を挟んで下大町村に接する。

建武二年(一三三五)八月三日の長島庄下村本物返田畠注文(橘中村家文書)に「大町田」とある。慶長絵図に「大町」とあり、正保絵図に「上大町村」とある。この地域は平安時代の後期は蓮華王れんげおう院領、鎌倉時代には一時大町庄となり、宇佐うさ八幡宮の社領。室町時代は橘薩摩氏の一族牛島氏の所領となる。同時代の末に竜造寺領となり、江戸時代の初めは多久(水ヶ江竜造寺)が佐賀本藩に上地して佐賀藩領となり、横辺田よこべた代官所が置かれた。

享保年間(一七一六―三六)には長崎街道に北方塚崎つかざきを経由する塚崎通(彼杵そのぎ通)が新設されて、同街道の成瀬なるせ(塩田通)との分岐点となった。


上大町村
かみおおまちむら

[現在地名]津名町大町上おおまちかみ

下大町村の南に続き、南は檜原下きそのはらしも村に接する南北に開けた谷間の村。正保国絵図に村名がみえ、高二四〇石余。寛永四年(一六二七)検地帳(広田家文書)では反別一九町二反余・分米二九二石余。元禄元年(一六八八)検地(同文書)によれば高五一六石余(田四六一石余・畑五五石余)・反別二八町三反余(田二二町二反余・畑六町一反余)。宝永四年(一七〇七)には新開分の検地が行われた(「新開検地帳」同文書)。天保郷帳では高四〇二石余。王子組に属し、反別戸数取調書では反別二九町六反余、高五二三石余、うち蔵入高三七四石余、一四二石余が家老池田登の給知。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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