日本歴史地名大系 「上朝宮村」の解説 上朝宮村かみあさみやむら 滋賀県:甲賀郡信楽町上朝宮村[現在地名]信楽町上朝宮柞原中野(ほそはらなかの)村の西方に位置する山村。南方は山城との国境をなす。瀬田(せた)川に注ぐ信楽川の上流部にあたり、集落は同川の北に形成される。中世は信楽庄に属し朝宮郷と称された。建武四年(一三三七)四月二五日の山中道俊・同頼俊軍忠状案(山中文書)に「朝宮」とみえるのが早い。「後法興院記」文明一三年(一四八一)五月一四日条などに、朝宮郷から近衛家に材木が到着したとの記述がある。「雑事要録」によれば、長享三年(一四八九)に「朝宮郷関」の関銭が毎月送られているが、その額は不明。一条兼良は文明五年五月美濃への途上、奈良より木津(きづ)(現京都府相楽郡木津町)を経て当所にて行暮れ、山中の小家に仮寝し翌日野尻(のじり)を経て信楽川沿いに下り石山(いしやま)寺(現大津市)に至ったが、このとき「行暮れて雨は降きぬ朝宮をあさたつまての宿やからまし」と詠んでいる(藤川の記)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by