上杉朝興(読み)うえすぎともおき

精選版 日本国語大辞典 「上杉朝興」の意味・読み・例文・類語

うえすぎ‐ともおき【上杉朝興】

室町後期の武将江戸川越城主朝憲の子。扇谷(おおぎがやつ)上杉朝良養子北条早雲と戦って敗れ、のち早雲の子氏綱に江戸城を攻められて河越城に移る。長享二~天文六年(一四八八‐一五三七

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朝日日本歴史人物事典 「上杉朝興」の解説

上杉朝興

没年:天文6.4.27(1537.6.4)
生年:長享2(1488)
戦国時代の武将。扇谷上杉氏当主。修理大夫。朝寧の子。永正2(1505)年に伯父朝良の隠退により扇谷家の当主となり相模と南武蔵を管轄するが,伊勢宗瑞(北条早雲)によって相模を奪われ,大永4(1524)年にはその子北条氏綱に武蔵江戸城を奪取された。武蔵河越・松山拠点としつつ相模方面に攻め込み旧領の回復を図るが,成功をみないまま死去した。

(山田邦明)

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「上杉朝興」の解説

上杉朝興 うえすぎ-ともおき

1488-1537 戦国時代の武将。
長享2年生まれ。扇谷(おうぎがやつ)上杉朝良の養子。大永(たいえい)4年武蔵(むさし)高縄原(東京都)で北条氏綱とたたかい敗北。江戸城をうばわれ武蔵河越城(埼玉県)にしりぞく。6年後にも北条氏康に敗れ,江戸城の奪回をはたせぬまま天文(てんぶん)6年4月27日河越で没した。50歳。幼名は五郎。

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