上梨村(読み)かみなしむら

日本歴史地名大系 「上梨村」の解説

上梨村
かみなしむら

[現在地名]平村上梨

田向たむかい村の庄川対岸、左岸段丘上に位置し、南の皆葎かいむくら(現上平村)とは急崖の細道でつながる。北西山地は下方畑地。集落背後は雪崩の災害を防ぐ雪持林と定められた禁伐林田向村との間は切立った岩場で、村民は籠渡しを利用して往来した。籠綱の総長四二間半、うち両詰間数一四間半・籠通用間数二八間、総間数四二間半、藤切人足・綱打立人足は一九〇人ほど、うち当村約一〇〇人・田向村約九〇人(五ヶ山籠渡覚「十村宅左衛門覚書」寿川区有文書)。文久三年(一八六三)藤橋が架かるまで利用され、籠引人賃銀は田向村で支払った(田向区有文書)。ほかに猪谷いのたに(現上平村)の作所(畑作地)への通籠として総間数三八間の籠渡しがあった(前掲覚書)


梨村
かみくしなしむら

[現在地名]琴平町上櫛梨、善通寺市櫛梨町

琴平山(象頭山)北方金倉かなくら川右岸の平地に位置する。上櫛無とも書く。中世「櫛無保上村」と称された地と推定される。江戸末期に櫛梨村が当村と下櫛梨村に分村。「西讃府志」によれば高五九二石余、田畝五九町余、うち畑九反余・屋敷二町二反余、租税は米二七七石余・大麦五斗余・小麦二斗余・大豆四石九斗余、灌漑水は宗三泉など一二ヵ所の出水に依存、家数一二八・人数四六一。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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