上田辺村(読み)かみたなべむら

日本歴史地名大系 「上田辺村」の解説

上田辺村
かみたなべむら

[現在地名]高槻市上田辺町・上田部かみたなべ芥川あくたがわ町一丁目・明田あけた町・紺屋こんや町・高槻町・城北じようほく町一丁目・桃園とうえん町・中川なかがわ町・城西じようさい町・野見のみ町・出丸でまる町・天神てんじん町一―二丁目・白梅はくばい町・古曾部こそべ町一丁目

高槻村の西にある。天神山南麓に南北に延びる村で、東は高槻村・古曾部村。当村の東辺は高槻城下町の一部を形成し、北部を西国街道が東西に走る。南方に高槻村地を隔てて下田辺村があり、伝承によると往昔田辺郷(村)に含まれたが、のち上・中・下に分村したという。村内に中田辺の小字が残る。「長秋記」保元元年(一一五六)八月一四日条にみえる田部庄の地と考えられる。同日の放生会に山城石清水いわしみず八幡宮に詣でた際、淀から宿院極楽寺に着いた上卿一行に酒肴を調進した三庄のうちの一庄としてみえる。同庄は当時同宮直属の園であった可能性がある。天神山の上宮じようぐう天満宮社前の南の山麓はやや平らな丘になっているが、ここは永禄一一年(一五六八)九月二九日、三好衆の立籠る芥川城を攻略、落城させた織田信長が陣をはって以来(言継卿記・信長公記)、天正期(一五七三―九二)まで数度の戦乱において西国街道の要所となった天神の馬場である。


上田辺村
かみたぬいむら

[現在地名]玉城町上田辺

外城田ときだ川上流左岸、南部には同川の形成した沖積低地が開け、北には田辺の丘陵がある。古代の田辺郷(和名抄)に属し、その本邑をなした。沖積低地は外城田川に涵養された沃野であり、北に丘陵を控え自然環境に恵まれた地で条里制の遺構が認められる。天福二年(一二三四)一月二〇日付の度会広光処分状(光明寺文書)に「田辺郷十二条六畝田里九坪字寺田」とみえる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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