上野英信(読み)ウエノ ヒデノブ

20世紀日本人名事典 「上野英信」の解説

上野 英信
ウエノ ヒデノブ

昭和期のノンフィクション作家



生年
大正12(1923)年8月7日

没年
昭和62(1987)年11月21日

出生地
山口県吉敷郡阿知須町

出身地
福岡県

本名
上野 鋭之進

学歴〔年〕
京都帝国大学文学部中国文学科〔昭和22年〕中退

主な受賞名〔年〕
西日本文化賞〔昭和59年〕,日本写真協会賞(昭61年度)〔昭和62年〕「写真万葉録・筑豊

経歴
幼時からほとんどを福岡県で過ごす。旧満州の建国大学から学徒出陣し、広島の部隊被爆。昭和23年から28年まで筑豊各地の炭鉱で働き、その後、国労の書記、クズ鉄商など数多くの職につく。中小炭鉱のルポルタージュを書き続け“ヤマの作家”として知られた。58年から「筑豊の写真集」を刊行。著書に「追われゆく坑夫たち」「地の底の笑い話」「天皇陛下万歳」「廃鉱譜」「出ニッポン記」など。他に「写真万葉録・筑豊」(全10巻)がある。筑豊の記録と紹介に関する活動の功績により、59年西日本文化賞受賞。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

百科事典マイペディア 「上野英信」の意味・わかりやすい解説

上野英信【うえのひでのぶ】

ルポルタージュ作家。山口県生れ。本名鋭之進。京都大学中退後,福岡県筑豊で炭坑夫として勤めつつ,文学運動を組織。1958年谷川雁森崎和江らと《サークル村》を創刊炭鉱労働者の日常を絵ばなしなどの独自の方法で描く。閉山後も住みついて,地底の労働者たちの生身の像を描き出し,広く反響をよんだ。作品には,《せんぶりせんじが笑った》《親と子の夜》《追われゆく坑夫たち》《日本陥没期》《どきゅめんと筑豊》や,日本近代の基部をさぐる《天皇陛下万歳――爆弾三勇士序説》,また晩年の《眉屋私記》など。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「上野英信」の解説

上野英信 うえの-ひでのぶ

1923-1987 昭和時代後期の小説家
大正12年8月7日生まれ。炭鉱労働者としてはたらき,昭和33年谷川雁(がん),森崎和江らと「サークル村」を創刊。坑内労働者たちの生活をえがく記録文学などを発表。のち自宅に筑豊文庫をひらいた。昭和62年11月21日死去。64歳。山口県出身。京大中退。本名は鋭之進。著作に「追われゆく坑夫たち」「天皇陛下万歳」など。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

367日誕生日大事典 「上野英信」の解説

上野 英信 (うえの ひでのぶ)

生年月日:1923年8月7日
昭和時代のノンフィクション作家
1987年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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