下小出村(読み)しもこいでむら

日本歴史地名大系 「下小出村」の解説

下小出村
しもこいでむら

[現在地名]塩川町小府根こふね

下利根川しもとねがわ村の南、大塩おおしお川の西岸に位置し、集落檜原ひばら峠越米沢街道(下街道)に沿う。塩川組に属し、南は別符べつぷ村。慶長四年(一五九九)三月一七日、上杉氏代官満願寺仙右衛門は神田右馬允・同新二郎に対して「別布領荒地高百廿石之所」を両者肝煎分に定め置いているが(新編会津風土記)、この別符村地内の荒地がのちの当村で、同書によると蘆名家譜代の臣神田六郎季運の子右馬允季順が同年当村を開き、季順の子孫は代々下利根川村に住し、同村および当村の肝煎を勤めたという。


下小出村
しもこいでむら

[現在地名]前橋市下小出町・昭和町しようわまち三丁目

西は上小出村、北西青柳あおやぎ村、東は北代田きたしろた村、南は国領こくりよう村・はぎ村、南西岩神いわがみ村。寛文郷帳に田方三九九石二斗・畑方三九八石三斗とある。重朗日記(酒井家史料)正徳二年(一七一二)八月二三日条に「下小出村川虧ノ所虧入、広瀬川トノ間僅ニ六間トナル」とあり、同二五日条では、かねての願いのように新川を掘るよう命じられたことがわかる。天明三年(一七八三)の浅間山噴火に際しては「田畑泥入」の被害を受けた(浅間嶽焼荒記)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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