下村宏
しもむらひろし
[生]1875.5.11. 和歌山
[没]1957.12.9. 東京
政治家,新聞経営者。号は海南。法学博士。東京帝国大学法学部卒業後逓信省に入り,台湾総督府民政長官を経て,1922年村山龍平に招かれ朝日新聞社に入社。ただちに取締役となり,1930年副社長,緒方竹虎や石井光次郎らを擁して,特に東京での『朝日新聞』の発展に功績があった。 1936年退社して貴族院議員となり,1943年5月から2年間日本放送協会会長を務めた。続いて鈴木貫太郎内閣の国務大臣となって情報局総裁を兼ねた。『終戦秘史』のほか,随筆,歌集など著書多数がある。
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世界大百科事典(旧版)内の下村宏の言及
【郵便振替】より
…最初に国営の郵便為替制度を導入したのはオーストリアであり,1883年に郵便小切手および振替計算制度という名称で発足した。機能的には銀行の当座預金とほとんど同じであるため,他のヨーロッパ諸国では銀行の反対から郵便為替制度の採用は遅れ,日本は1906年下村宏(号,海南,1875‐1957)等の努力により,オーストリア,スイスに次ぎ世界で3番目にこの制度を導入した。当初は,郵便為替貯金という名称で郵便貯金の一種として発足し,送金や決済後の口座の残高に対しては利子が付された。…
※「下村宏」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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