海南(読み)カイナン

デジタル大辞泉 「海南」の意味・読み・例文・類語

かいなん【海南】

和歌山県北西部、紀伊水道に面する市。黒江漆の産地。家庭日用品産業が盛ん。人口5.5万(2010)。
四国の別称。
中国南部の省。海南島を中心とする島嶼からなる。省都は海口。人口。828万(2005)。ハイナン

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精選版 日本国語大辞典 「海南」の意味・読み・例文・類語

かい‐なん【海南】

  1. [ 1 ] 〘 名詞 〙 南の海。また、その海に沿った地。
    1. [初出の実例]「上人別我帰海南、南有宝陀青巉巉」(出典:空華集(1359‐68頃)一・送攸知客帰海南宝陀)
  2. [ 2 ]
    1. [ 一 ] 四国の別称。
      1. [初出の実例]「又在海南杜鵑、風風雨雨落花天」(出典:星巖集‐甲集(1837)蠡海集・春晩絶句三首)
    2. [ 二 ] 和歌山県北西部の地名。紀伊水道に臨む。江戸時代から黒江塗の漆器、傘の生産で知られ、積出港の黒江、日方は廻船の寄港地ともなった。現在は、埋立地に火力発電所、工場が進出し、阪神工業地帯の南縁を成している。昭和九年(一九三四)市制。
    3. [ 三 ] 中国の唐代に驩州に置かれた郡。現在のベトナム北部。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「海南」の意味・わかりやすい解説

海南(省)
かいなん / ハイナン

中国南端の省で、中国で第31番目に設置された一級行政区。海南島と南シナ海に散在する南海諸島のうち西沙(せいさ)諸島、中沙(ちゅうさ)諸島、南沙(なんさ)諸島から構成される。北は瓊州(けいしゅう)海峡を隔てて広東(カントン)省の雷州(らいしゅう)半島を望み、西は北部湾(トンキン湾)に臨む。南端は中国の主張によれば赤道に近い曾母暗沙(そうぼあんさ)(北緯3度51分)で、マレーシア領カリマンタン(ボルネオ)島に隣接している。省都は瓊州海峡に面する海口(かいこう)市で、海口、三亜の二つの省直轄市と7県級市、4県、6自治県からなる。面積3万4000平方キロメートル、人口760万9388(2000)。

 漢代には珠崖(しゅがい)、儋耳(せんじ)の2郡が置かれたが、当時は父系制原始共同体の時代であった。後漢(ごかん)から南北朝にかけて広東、福建から漢民族が次々と移住してきて、海南島北東部を開拓し、西沙諸島にも到達。隋(ずい)、唐のころには海南島南部の沿海地方にも漢族が定住するに至った。宋(そう)代、元(げん)代には中国北部の戦乱を避けて移住してくる漢族がさらに多く、元代には漢族の人口が17万を超えた。

 元代には福州、泉州、広州との間に航路が開かれ、屯田兵(とんでんへい)も置かれた。明(みん)代には広東省の管轄下に置かれ、水稲二期作、漁業、製塩、鉱業、手工業、商業が発展し、清(しん)代には製糖業や錫(すず)の採取が始まり、19世紀にイギリスによるシンガポールの植民地化の進展とともに、同地に移住する華僑(かきょう)も多くなり、20世紀になると海南島でゴムの栽培も開始された。

 海南島は本土よりやや遅れて1950年4月末に解放され、海南行政区公署が設けられた。広東省に属していたが、88年に海南省が成立した。海南島はもともと中国の南端の島で、かつては封建王朝の流刑地であった。また本島の原住者であったリー族(黎族)は焼畑農耕に従事し、全体としても経済的後進地域の一つであった。しかし1960年代から各種の熱帯作物の大規模栽培が始まり、とくに「文化大革命」による経済的後退ののち開放経済の時代に入って以後、88年には全省が5番目の経済特区に指定され、外国資本に対する開放政策が取られるようになった。こうして新たな経済発展の段階に入り、儋州市洋浦港には大型の近代的港湾の建設が始まっている。

 また海南島は中国最大の熱帯作物生産基地で、ゴム、ヤシ、マンゴー、胡椒(こしょう)、コーヒーなどが42万ヘクタールにわたって栽培され、16万トンのゴムを産している。食糧作物は水稲が主で、二期作、三期作も行われるが、全体としては水利施設が不備で、食糧は自給するに至らず、サツマイモを重要な補給食糧としている。熱帯果樹、サトウキビも広く栽培される。また全島の18%が天然林で、五指山周辺に分布する。海南島沿岸以外にも広大な南海諸島の海面を有するだけに、水産資源に富み、白馬井、清瀾(せいらん)、三亜、港北など多くの漁港がある。鉱工業では石碌(せきろく)に中国でもっとも高品位の鉄鉱石を産出する露天掘鉄山がある。また鶯歌海(おうかかい)に大規模な塩田が造成され、その沖合いとトンキン湾には多量の石油と天然ガスを埋蔵する海底油田が発見されているが、近代工業は外資導入を待って開発が現実化することになろう。むしろ現在は海食崖の連なる「天涯海角」などの観光資源を生かした観光開発に力を注いでいる。

 鉄道は島の南部の三亜―昌江(石碌)間が結ばれているだけで、全島としては東、西、中の3本の自動車道路に依存するのみである。海港は現有の海口、八所(鉄鉱石積出港)、三亜の3港のほか、建設中の洋浦港があり、海口、三亜に小型の空港がある。

[河野通博]


海南(市)
かいなん

和歌山県北西部、紀伊水道に面する市。1934年(昭和9)黒江、日方(ひかた)、内海(うつみ)の3町と大野村が合併して市制施行。旧町村が海草郡の南にあることから海南市とした。1955年(昭和30)亀川(かめがわ)、巽(たつみ)、北野上(きたのがみ)、中野上、南野上の5村を編入。2005年(平成17)下津町(しもつちょう)を合併。JR紀勢本線(きのくに線)、国道42号、370号、424号、阪和自動車道が通じる。長峰(ながみね)山脈の北麓(ほくろく)を西流して黒江湾に注ぐ日方川流域と、その東部和田川上流および貴志(きし)川中流、さらに下津湾に注ぐ加茂川流域などを市域とする。古くは春日(かすが)神社のある大野中が中心地で、熊野古道に沿う王子跡が残り、黒江湾の黒牛潟(くろうしがた)や名高(なだか)浦、藤白(ふじしろ)坂などは『万葉集』の歌などによく詠まれている。藤白王子社(現在は藤白神社)は後鳥羽(ごとば)院熊野御幸の際の歌会を書き留めた「熊野懐紙」で知られている。近世には黒江湾に面する日方、黒江の港町に諸国の廻船(かいせん)が集まり、黒江塗や日方の傘などの集散地として繁栄した。黒江塗はいまもあるが、プラスチック素地が多くなり、木地(きじ)職は家具職に転じている。日方の塩田や和傘も衰え、野上地区のシュロ加工を基にした縄、網やほうき、たわしなど和雑貨集散地となった。1964年黒江湾を埋め立て、海南港を整備するとともに、電力、化学、石油の近代工場が立地した。下津港は臨海工業地域の中枢として国際拠点港湾「和歌山下津港」に指定されている。また、南部では果樹栽培が盛んで、とくに下津町地区のミカンが知られている。船尾には国指定名勝の琴ノ浦温山(おんざん)荘庭園、県立自然博物館がある。下津町上(しもつちょうかみ)に鎌倉時代の文化財が多い長保寺(大門、本堂、多宝塔は国宝)、梅田に釈迦堂が国宝の善福院がある。面積101.06平方キロメートル、人口4万8369(2020)。

[小池洋一]

『『海南市史』全5巻(1979~2000・海南市)』



海南
かいなん

徳島県南部、海部郡(かいふぐん)にあった旧町名(海南町(ちょう))。現在は海陽町(かいようちょう)の北半分を占める地域。旧海南町は、1955年(昭和30)浅川、川東(かわひがし)、川上の3村が合併、町制施行して成立。2006年(平成18)海部、宍喰(ししくい)の2町と合併、海陽町となった。JR牟岐(むぎ)線、国道55号(土佐浜街道)が通じ、国道193号を分岐する。太平洋に臨み、大里(おおざと)海岸や八坂八浜(やさかやはま)は室戸阿南(むろとあなん)海岸国定公園の一部に含まれる。地域の大部分は山地で、杉の美林地帯をなし、轟(とどろき)ノ滝の景勝地がある。中心の大里地区は徳島藩時代には土佐押さえのための海部城(鞆城(ともじょう)ともいう。海陽町鞆浦)の御鉄砲者が居住した地で、現在も槙(まき)囲いの家が迷路状に並ぶ。また大里に隣接する四方原(しほうはら)は江戸時代初期に開拓された新田集落であり、1998年には総合文化施設の阿波(あわ)海南文化村が開場した。地域の一部には両墓制が残る。八坂八浜には四国霊場別格4番札所鯖(さば)大師がある。

[高木秀樹]

『『海南町史』(1966・海南町)』


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改訂新版 世界大百科事典 「海南」の意味・わかりやすい解説

海南[市] (かいなん)

和歌山県北西部,和歌山市の南に接する市。2005年4月旧海南市と下津(しもつ)町が合体して成立した。人口5万4783(2010)。

海南市東部の旧市。1934年黒江,日方,内海の3町と大野村が合体して市制。人口4万5507(2000)。海南湾(黒江湾)に臨み,日方川および貴志川の流域(野上谷)を後背地に,近世以来商港として繁栄し,廻船問屋も多かった。特産品は黒江の漆器,野上谷のシュロ製品が主で,特に漆器は根来塗に起源をもち,紀州藩の保護のもとに最も重要な産業であった。昭和30年代に原料の入手難から,ほとんどが低廉なプラスチック製品に代わったが,山中,会津と並ぶ漆器の大産地となっている。一方,シュロ皮加工業は原料を化学製品にかえて,ほうき,マットなどの和雑貨やロープ,漁網を生産している。古くは黒牛潟,名高浦と呼ばれた海南湾は,近世から塩田開発が行われ,1909年まで塩田として利用された。大正期から海岸を埋め立てて繊維産業が導入されたが,60年代半ばに県によって160haの埋立てが完成し,火力発電所,鋼管工場,石油精製所が立地した。JR紀勢本線が通じる。南隣りの旧下津町へ越える藤白坂は,熊野街道の難所として著名であったが,海南湯浅道路の長峰トンネルが開通した。阪和自動車道のインターチェンジがある。
執筆者:

海南市西部の旧町。旧海草郡所属。人口1万4866(2000)。西は紀伊水道に面し,三方は紀伊山地に囲まれる。リアス式海岸をなす下津湾は天然の良港で,大崎,下津,塩津の各港は近世には江戸航路の中継基地,避難港であった。1938年丸善石油,翌39年東燃の石油精製工場が設立されて下津は石油の町となり,48年には重要港湾の指定を受け,現在は県北部臨海工業地帯の中枢をなす。また古くからミカンの産地として知られ,山の斜面はミカン畑でおおわれている。紀伊徳川家の菩提寺長保寺があり,大門,本堂,多宝塔は国宝に指定されている。善福院釈迦堂(国宝),地蔵峰寺本堂,三郷八幡神社本殿など文化財が多い。JR紀勢本線,国道42号線が通じ,阪和自動車道のインターチェンジがある。
執筆者:


海南(徳島) (かいなん)

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百科事典マイペディア 「海南」の意味・わかりやすい解説

海南[省]【かいなん】

中国,南シナ海の大島である海南島は,以前は広東省の管轄下にあったが,1988年海南省に昇格するとともに,省全体が経済特区に指定され,中国最大の経済特区となった。省都は海口市。海南島は瓊州(けいしゅう)島とも呼ばれ,本土の雷州半島と瓊州海峡を隔てて対する。古来華南の軍事・交通の要地。中央部は山地で北部は小平野をなす。南部はサバンナ気候,北東部は熱帯性気候で夏に雨季をもつ。レイシ,リュウガン,バナナなどが特産。サトウキビ,サツマイモ,トウモロコシが主産物で,未開発の豊富な地下資源をもつ。現在は6市13県からなり,うち18の市・県が対外開放されている。農業のほか,工業は繊維関係とゴム工業がある。観光にも力を入れ東洋のハワイを目指している。中央部の五指山(1867m)などの山地にはリー(黎)族ミヤオ(苗)族などの少数民族が居住している。東部の瓊海,文昌は商業都市,南部の三亜は漁港市だが,観光都市化が著しい。1994年末の外資企業は8200,総投資額は154億ドル。3万3900km2。902万人(2014)。

海南[市]【かいなん】

和歌山県北西部の市。1934年市制。黒江湾に臨み市街が発達,紀勢本線,阪和自動車道が通じる。近世から黒江は漆器(黒江塗),廻船の港町日方は和傘(わがさ)の産で知られ,内海では紡績が盛ん。シュロ加工品(たわし,マット,ほうき)や紀州ミカンも特産。黒江湾岸は近世塩田が行われていたが,明治末に廃止。その後始められた埋立てが1960年代に完了,紀北臨海工業地帯に属し,火力発電所,鉄鋼,石油工場が進出。日方と野上町(現・紀美野町)の登山口を結んでいた野上電鉄(11.4km)は1994年に廃線となった。2005年4月海草郡下津町を編入。101.06km2。5万4783人(2010)。
→関連項目小野田寛郎

海南[町]【かいなん】

徳島県南部,海部(かいふ)郡の旧町。大部分は海部川流域の山地で,下流に土佐街道に沿う主集落の四方原と大里がある。農林業が行われ,キュウリ,花卉(かき)などのハウス栽培が盛ん。大里は藩政時代土佐に対する南方の拠点で複雑な町割を呈する。海部川は北の木頭(きとう)地方との交通に利用された。牟岐(むぎ)線が通じる。2006年3月,海部郡海部町,宍喰町と合併し町制,海部郡海陽町となる。209.22km2。6150人(2003)。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「海南」の意味・わかりやすい解説

海南
かいなん

徳島県南部,海陽町北・東部を占める旧町域。南東部は太平洋に面する。 1955年浅川村,川東村,川上村が合体して町制。 2006年海部町,宍喰町の2町と合体して海陽町となった。大部分が山間部にあり,平地は少ない。南に接する海部と商圏を二分する県南の中心地。中心地区はマキ囲いの残る大里と土佐浜街道 (→土佐街道 ) 沿いの四方原。東の浅川は天然の良港で,漁港として発達。 1000m級の山が連なる平井は美林地帯である。海岸には室戸阿南海岸国定公園に属する八坂八浜,白砂青松の大里松原がある。平井の轟滝は四国一の大滝で,中部山渓県立自然公園に属し,あばれ神輿の祭りで知られる。

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