日本歴史地名大系 「下津田村」の解説 下津田村しもつたむら 広島県:世羅郡世羅西町下津田村[現在地名]世羅西町下津田上津田村の東に位置し、津田(つた)川(現馬洗川)水源地帯流域に展開する農村。多くの円墳が津田川流域の小高い場所に築かれている。弘安四年(一二八一)一二月二八日の将軍家政所下文写(竹内文平氏旧蔵文書)に津田郷がみえ、正中二年(一三二五)六月一二日の関東下知状(山内首藤家文書)に「津田郷下村」とある。標高五九三メートルの明神(みようじん)山に津田城とも明神山(みようじんやま)城とも称した城跡があり、「芸藩通志」に城主は金築七郎、一説に庄野(勝野)七郎ともある。墓は上津田村南部の山中にある字大池(おおいけ)付近にあると伝える。津田川南岸付近にある茶臼(ちやうす)山も茶臼城跡と伝えられるが、城主は不明である。元和五年(一六一九)の備後国知行帳に「津田下村」とある。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by