日本歴史地名大系 「下清水村」の解説 下清水村しもしみずむら 静岡県:清水市旧有渡郡地区下清水村[現在地名]清水市下清水町・梅(うめ)が岡(おか)・梅田町(うめだちよう)・岡町(おかまち)・三光町(さんこうちよう)・清水町・本町(ほんまち)・南岡町(みなみおかまち)・神田町(かんだちよう)・月見町(つきみちよう)・上(かみ)一丁目・上清水町(かみしみずちよう)・堂林(どうばやし)二丁目北矢部(きたやべ)村の北、巴(ともえ)川下流部右岸、南北に形成された上清水―村松(むらまつ)浜堤上に集落、東西に水田が広がり、久能道が通じる。北は上清水村、東は清水町。永禄一三年(一五七〇)二月二一日の武田家朱印状(梅蔭寺文書)に「下清水」とみえ、地内の一石六斗並びに代方三〇〇文が梅蔭(ばいいん)庵(現臨済宗妙心寺派梅蔭禅寺)に寄進され、寺中の竹木伐採禁止および門前の家三軒の棟別役が免除されている。 下清水村しもしみずむら 石川県:能美郡辰口町下清水村[現在地名]辰口町下清水上清水村の西、手取川下流南岸に位置し、同川対岸北方に飛地灰俵島(はいだらじま)(現ほうき島)がある。古くは上清水村と一村で清水村と称したが、慶長年中(一五九六―一六一五)から正保(一六四四―四八)初年にかけて上下二村に分立したと思われる(辰口町史)。正保郷帳では高七九五石余、田方四四町七反余・畑方二町余、ほかに新田高八七石余。寛文一〇年(一六七〇)の村御印(辰口町立博物館蔵)によれば草高二四三石、免三ツ五歩、ほかに同六年の新田高三一石、小物成は川原役六七匁・川役四〇目。 下清水村しもしみずむら 山形県:鶴岡市青竜寺川・内川流域地区下清水村[現在地名]鶴岡市下清水白山林(しらやまばやし)村の西、森山(もりのやま)の北西麓にある。温海(あつみ)街道が北東から南西へ通る。妙味水(しみず)とも記される。元亀二年(一五七一)と推定される八月二七日付の武藤義氏書状(庄内古文書影写集所収文書)によれば、武藤氏に対し反乱を起こして谷地(やち)館に籠った土佐林氏家臣の桜井氏らは、「妙味之地」と内通して大浦(おおら)城を攻撃したとある。同書状には「妙味水之陳」ともあり、また「大泉庄三権現縁記」に宝徳二年(一四五〇)五月最上探題が「妙味水之城」攻略に失敗したことを記していることから、城郭が築かれていたと推定されるが未詳。元和八年(一六二二)の酒井氏知行目録では清水村とあり、高二千二二二石余。寛永元年庄内高辻帳では田川郡に属し、妙味水村とみえ、二千四四二石余。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by