下高島村(読み)しもたかしまむら

日本歴史地名大系 「下高島村」の解説

下高島村
しもたかしまむら

[現在地名]大平町下高島

上高島村の南、巴波うずま川西岸に立地する。西は真弓まゆみ村と接し、栃木宿と野木のぎ宿を結ぶ脇往還が南北に通る。弘治三年(一五五七)五月二三日の古河公方足利義氏安堵状(小山文書)に「下高嶋郷」とみえ、小山秀綱に同郷などが安堵されている。文禄四年(一五九五)の榎本領村高書上(大出善作文書)に高島とあり、高六一九石余。慶安郷帳に村名がみえ、田五五六石余・畑一三五石余で下総古河藩領。寛文四年(一六六四)の同藩領知目録にも村名が記載される。貞享元年(一六八四)より元禄七年(一六九四)まで堀田正虎領(紀氏雑録続集)

下高島村
しもたかじまむら

[現在地名]勝山市下高島

九頭竜くずりゆう川右岸の河岸段丘末端部に位置し、東は下毛屋しもけや村、北は畔川あぜがわ村に接する勝山街道沿いの集落。村名は、慶長一一年(一六〇六)頃の越前国絵図には「高嶋上下 瀬川共ニ」として高九七三石余が記される。慶長五年から福井藩領、寛永元年(一六二四)勝山藩領、正保元年(一六四四)幕府領で福井藩預地、貞享三年(一六八六)幕府直轄地、元禄五年(一六九二)以降美濃国郡上藩領となった。正保郷帳で上高島村・下高島村・畔川村三村に分村。同帳によると下高島村は田方三〇五石余・畠方二五石余。

宝暦九年(一七五九)の下郷明細帳之写(島田家文書)によると、上田三町六反余・中田五町五反余・下田九町五反余、居屋敷一反余、上畑四反余・中畑五反余・下畑一町四反余で、村高のうち一八三石余が川欠引とされた。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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