下黒川村(読み)しもくろかわむら

日本歴史地名大系 「下黒川村」の解説

下黒川村
しもくろかわむら

[現在地名]八幡町下黒川

日向につこう川上流右岸の山間の村。日向川を境に新出しんで村の北にあり、東は上黒川村。たてうち松原まつばら谷地田やちたには縄文時代の集落跡がある。地内に黒川館跡といわれる地がある。館主は阿曾大学と称し、石黒家記(飽海郡誌)に「あらせの郡ハあそのあつかい、あその知行は百貫」とある。元和八年(一六二二)の酒井氏知行目録には黒河村とみえ高四六二石余。寛永元年庄内高辻帳には下黒河村とあり高二八一石余。元和九年の検地の時、上黒川村と下黒川村に分村した。寛永二年(一六二五)当村の肝煎・惣百姓は藩に定納願を出し許された。免は田五ツ四分、畑二ツ五分(「定納定」渡辺文書)


下黒川村
しもくろかわむら

[現在地名]岩城町下黒川

くろ川の下流にあり、北は六呂田ろくろた村、東は上黒川かみくろかわ村に接する。城下町亀田かめだ内越うてつ郷を結ぶ内越街道が村の東側を通る。

慶長一七年(一六一二)の由利郡中慶長年中比見出検地帳(由利郡中世史考)赤尾津あこうづ郷の一村として村名がある。寛永二年(一六二五)の村高は三八七石(油利之内修理大夫様御知行御検地帳免定之目録写)、正保三年(一六四六)の出羽国油利郡内高目録(秋田県庁蔵)に「水損所 かや山有 小川有 新開有」とある。享保二年(一七一七)には四〇〇石余(「御尋之節御挨拶之覚」大内町文化財資料)、天保九年(一八三八)には四二〇石余(「御巡見使御下向取調帳」大内町文化財資料)と徐徐に村高が増えている。


下黒川村
しもくろがわむら

[現在地名]輪島市下黒川町

房田ふさだ村の南、鳳至ふげし川中流西岸の段丘山地に立地。同川には長九間・幅七尺の堂坂橋があった(能登志徴)正保郷帳に村名がみえ、高三二二石余、田方一六町九反余・畑方四町五反。承応三年(一六五四)の村御印の高三四一石余、免五ツ一歩(能登奥両郡収納帳)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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