与那嶺要(読み)ヨナミネカナメ

デジタル大辞泉 「与那嶺要」の意味・読み・例文・類語

よなみね‐かなめ【与那嶺要】

[1925~2011]プロ野球選手・監督。米国ハワイ州の生まれ。日系2世。本名ウォーリー=カナメ=ヨナミネ。アメフトから野球に転向、昭和26年(1951)巨人に入団。豪快な盗塁注目を集めた。引退後、中日の監督に就任。同49年にはリーグ優勝し、巨人の10連覇を阻止した。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「与那嶺要」の意味・わかりやすい解説

与那嶺要
よなみねかなめ
(1925―2011)

プロ野球選手(外野手:左投左打)、監督。6月24日、アメリカのハワイ州生まれで、本名はWally Kaname Yonamine。高校時代はアメリカンフットボールで活躍し、1947年にはAAFC(のちNFL)のサンフランシスコ・49ers(フォーティナイナーズ)でプレーした。しかし故障で野球に転向、読売ジャイアンツ(巨人)の誘いを受けて1951年(昭和26)6月に来日した。バント・ヒットでデビューを飾り、7月の国鉄スワローズ(現、東京ヤクルトスワローズ)戦では二盗、三盗、本盗(ホーム・スチール)の1イニング3盗塁を記録、同じ試合でもう一つホーム・スチールを成功させた。スピードと頭脳的な走塁、そしてアメリカ仕込みの攻撃的なスライディングは、日本球界に強い衝撃を与えた。1954年に初の首位打者に輝き、1956年と1957年にも同タイトルを獲得、1957年は最高殊勲選手(現、最優秀選手)にも選ばれ、巨人の第二期黄金時代を支えた。1961年中日ドラゴンズ移籍、翌1962年に現役を引退した。1972年から1977年まで中日の監督を務め、1974年にはリーグ優勝を果たし、名将川上哲治(かわかみてつはる)が率いる巨人の10連覇を阻止した。

[出村義和 2016年9月16日]

 選手としての12年間の通算成績は、出場試合1219、安打1337、打率3割1分1厘、本塁打82、打点482。獲得したおもなタイトルは、首位打者3回、最高殊勲選手(現、最優秀選手)1回、ベストナイン7回。監督としての通算成績(6年)は、780試合、388勝349敗43分け、勝率5割2分6厘、リーグ優勝1回。1994年(平成6)野球殿堂野球殿堂博物館)入り。

[編集部 2016年9月16日]

『ウォーリー与那嶺・山本茂著『野球を変えた男』(1992・ベースボール・マガジン社)』

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「与那嶺要」の解説

与那嶺要 よなみね-かなめ

1925-2011 昭和時代後期のプロ野球選手,監督。
1925年6月24日生まれ。米マイナーリーグをへて,昭和26年巨人に入団。本場仕込みのスライディング,たくみなミート打法で首位打者3回。外国人選手のさきがけとなる。のち中日。実働12年,通算打率3割1分1厘。47-52年中日監督(49年リーグ優勝)。平成6年野球殿堂入り。平成23年2月28日死去。85歳。ハワイ出身。フェリントン高卒。本名はウォーリー=要=与那嶺。

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