日本歴史地名大系 「並松町」の解説 並松町なみまつちよう 大阪府:堺市堺並松町[現在地名]堺市並松町土居(どい)川(北堀)を隔てて北半(きたはん)町の北に位置し、紀州街道(大道)に沿う南北約五〇〇メートルの細長い町で北は大和川。堺市街の北の入口にあたる。もと住吉郡七道(しちどう)村(現堺市・住之江区)のうち。元禄二年(一六八九)堺大絵図には街道両側の松並木を描き、「並木松之内六町二拾五間」と記す。土居川に架かる北之(きたの)橋北詰から住吉の手水(ちようず)橋(現住吉区)までの六町二五間の間は、近世初頭以来堺政所の支配するところで、石河勝政が政所を勤めた寛永年間(一六二四―四四)に両側に松が植えられ、町名の起源ともなった。 並松町なみまつちよう 茨城県:水戸市水戸城下上町並松町[現在地名]水戸市栄(さかえ)町一―二丁目五軒(ごけん)町(長町)の西の袋(ふくろ)四町目のさらに西で、堀沿いの土堤際に至る町。元禄三年(一六九〇)の令で「小池七左衛門脇ヨリ新町舛形マデノ新道ヲ、並松町」とする(新編常陸国誌)。寛文城下町図(「水戸市史」所収)には武家屋敷が一軒あるのみで、元禄以後の城下図では武家屋敷町となっている。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by