中山王墓(読み)ちゅうざんおうぼ(英語表記)Zhong-shan-wang-mu

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

中山王墓
ちゅうざんおうぼ
Zhong-shan-wang-mu

中国河北省平山県に存在する戦国時代中山国の王墓群。 1974年から 78年にかけて,1号墓および6号墓とそれらの陪葬墓の発掘調査が行われた。いずれの墓も大きな封土を有し,1号墓の封土上には,享堂や回廊の遺構が残り,墓上に建物が建っていたことが判明している。墓の墓壙は「中」字形を呈し,中央に大きな槨室を有していた。これらの墓と陪葬墓からは,青銅の三鋒戟形器,中山王九鼎,編鐘,金銀象眼竜鳳形方案,金銀象眼屏風台座,玉製の璧,えん,佩,黒陶の鼎,壺,か,盤,豆など多数の遺物が発見されている。ことに,中山王さくの墓と考えられる1号墓からは,発掘史上類をみない古酒や,中国で発見された建築図面としては最古の「兆域図」が出土した。

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世界大百科事典 第2版の解説

ちゅうざんおうぼ【中山王墓 Zhōng shān wáng mù】

中国考古学において,中山王墓の名称で呼ばれる墓には,戦国時代中山国の王墓群と,漢代中山国の王墓群とがある。 戦国時代中山国の墓群は,河北省平山県三汲公社付近に存在し,32基以上の墓が調査されている。これらの墓は中山国晩期のもので,1号墓と6号墓が王墓と考えられている。1号墓の封土は高く盛られ,墓上建築の存在が知られている。この墓は,陪葬墓6基,車馬坑2基,雑葬坑1基,船坑1基を伴い,青銅器玉器,黒陶など多数の副葬品が納められていた。

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世界大百科事典内の中山王墓の言及

【地図】より

…戸籍を意味する〈版〉と組み合わされている〈版図〉という語も《周礼》にみえ,村落の戸口とその疆域を示すものであった。現存する初期の地図としては,近年出土した前4世紀の中山王墓の青銅版の〈兆窆(ちようへん)図〉および前2世紀の馬王堆漢墓から出土したいわゆる《西漢初期長沙侯国南部地図》(絹布)があり,前者は陵墓の平面設計図,後者は山川を模式的ながら平面的にとらえた河川流路の正確な地図である。中国全図としては,1121年(宣和3)刻石の《皇朝九域守令図》(四川省博物館),1136年(劉予政権の阜昌7年,南宋の紹興6年)刻石の《禹跡図》《華夷図》(西安碑林),1142年刻石の《禹迹図》(鎮江博物館)が現存する初期のもので,両禹跡(迹)図には一目を100里とする方格が記入されている。…

【墳墓】より

…中国では,死者の姓名経歴を記した碑を立て,唐代以来,墓塔を立てる。墓の内部に墓誌を入れることも,戦国時代(中山王墓)以来行われている。朝鮮では百済の武寧王陵の墓誌が有名である。…

【陵墓】より

… しかし,すでに墳丘墓が出現しているなかで,君主の墳墓のみが〈陵〉と称されるには墳丘のほかに特別な施設が含まれていたと解される。河北省平山県三汲公社は中山国古霊寿城の地で,城西2kmに平山1,2号墓がある(中山王墓)。1号墓出土の〈兆域図〉によると1,2号墓は中山国王(さく)とその哀后の墓で,さらに3基を加え計5基が台基上に並び,2重の牆垣をめぐらす大規模な陵園が築かれるはずであった。…

※「中山王墓」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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