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中川久清 なかがわ ひさきよ

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

中川久清 なかがわ-ひさきよ

1615-1681 江戸時代前期の大名。
慶長20年1月10日生まれ。中川久盛(ひさもり)の長男。承応(じょうおう)2年豊後(ぶんご)(大分県)岡藩主中川家3代となる。新検地や鉱業振興にあたる。万治(まんじ)3年には熊沢蕃山(ばんざん)をまねき,その献策で植林,用水路づくりに力をいれた。天和(てんな)元年11月20日死去。67歳。幼名は津久(九)。初名は久秀。通称は瀬兵衛。号は入山。

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書籍版「講談社 日本人名大辞典」をベースに、項目の追加・修正を加えたデジタルコンテンツです。この内容は2015年9月に更新作業を行った時点での情報です。時間の経過に伴い内容が異なっている場合がございます。

朝日日本歴史人物事典の解説

中川久清

没年:天和1.11.20(1681.12.29)
生年:元和1.1.10(1615.2.7)
江戸前期の大名,豊後国岡藩(大分県竹田市)藩主。幼名津丸。通称瀬兵衛。山城守。従五位下。伏見(京都市)に生まれる。中川久盛の長男。母は松平定勝の娘。寛永12(1635)年将軍徳川家光に初目見え,命により石川忠総の娘と婚礼する(年月日に異説あり)。承応2(1653)年遺領豊後岡藩7万石余を継ぐ。万治2(1659)年検地を完了して大幅な年貢増を打ち出し,寛文1(1661)年には地方知行制を廃止するなど藩政改革を進めた。また万治3年岡山藩から儒者熊沢蕃山を招き,経済策を講じさせた。その諸政策が藩政の基礎を確立,のちに中興の英主と呼ばれた。<参考文献>『中川家文書』

(福田千鶴)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
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