朝日日本歴史人物事典 「中川久清」の解説
中川久清
生年:元和1.1.10(1615.2.7)
江戸前期の大名,豊後国岡藩(大分県竹田市)藩主。幼名津丸。通称瀬兵衛。山城守。従五位下。伏見(京都市)に生まれる。中川久盛の長男。母は松平定勝の娘。寛永12(1635)年将軍徳川家光に初目見え,命により石川忠総の娘と婚礼する(年月日に異説あり)。承応2(1653)年遺領豊後岡藩7万石余を継ぐ。万治2(1659)年検地を完了して大幅な年貢増を打ち出し,寛文1(1661)年には地方知行制を廃止するなど藩政改革を進めた。また万治3年岡山藩から儒者熊沢蕃山を招き,経済策を講じさせた。その諸政策が藩政の基礎を確立,のちに中興の英主と呼ばれた。<参考文献>『中川家文書』
(福田千鶴)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報