日本歴史地名大系 「中平松村」の解説 中平松村なかひらまつむら 静岡県:磐田郡竜洋町中平松村[現在地名]竜洋町中平松僧(ぼうそう)川中流域に位置し、西は西平松村。正保年間(一六四四―四八)以前に平松村が三村に分れたという(遠江国風土記伝)。正保郷帳に村名がみえ、田三四六石余・畑三三石余。領主の変遷は西平松村に同じ。寺谷(てらだに)用水井通り七三ヵ村組合の一村(寺谷用水誌)。享保三年(一七一八)の高三八三石余(うち畑三七石余)、家数四一(うち本百姓三五・水呑百姓六)・人数一一六、馬六、御林一(松林東西四〇三間・南北五〇間)・百姓持林一(大通山)・圦四・橋一(「川東三拾弐ヶ村村調書上牒」磐田市誌編纂室収集文書)。 中平松村なかひらまつむら 静岡県:静岡市旧有渡郡・庵原郡地区中平松村[現在地名]静岡市中平松有度山(うどさん)丘陵南麓に位置し、西は西平松村、南は駿河湾に面する。中世は平松郷に含まれ、近世の地誌類では西平松村とともに平松村とも称される。領主と生業は西平松村と同じ。元禄郷帳では一六石余。旧高旧領取調帳では旗本榊原領二四石余。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報