中村庄・中村郷(読み)なかむらのしよう・なかむらごう

日本歴史地名大系 「中村庄・中村郷」の解説

中村庄・中村郷
なかむらのしよう・なかむらごう

中村川の流域、現足柄上あしがらかみ中井なかい町から現小田原市中村原なかむらはら羽根尾はねお小船おぶね上町かのまち沼代ぬましろ小竹おだけ一帯を含む。「和名抄」の余綾よろき郡中村郷にあたるか。天養二年(一一四五)三月四日の官宣旨案(県史一)に源義朝の部下として中村庄司宗平の名がみえ、この時すでに荘園として成立していた。中村氏は三浦氏と並ぶ相模国の有力な豪族で、在庁官人でもあったから、自らの名字の地を中央の権門に荘園として寄進したものであろう。宗平の次男は土肥実平、三男は土屋宗遠、四男は二宮友平、五男は堺頼平と称して、中村庄周辺の郷や荘に進出し、それぞれを名字に名乗る武士団を形成した。実平・宗遠らをはじめ中村氏一族は源頼朝の挙兵に参加して功績をあげ、鎌倉幕府の下で有力な武士となった。

文治元年(一一八五)一〇月、弟の源義経を討伐しようと大軍を率いて鎌倉を出発した頼朝は、その夜「中村庄」に止宿した(「吾妻鏡」同年一〇月二九日条)。また同二年中村庄司宗平は三浦介義澄とともに、苦しんでいた農民を救うため相模国内の有力な百姓に一人一斗ずつの米を分ち与えるよう、頼朝から命令を受けている(同書同年六月一日条)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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