中東和平のロードマップ(読み)ちゅうとうわへいのろーどまっぷ(英語表記)Road Map to Peace

日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

中東和平のロードマップ
ちゅうとうわへいのろーどまっぷ
Road Map to Peace

中東和平の「行程表」で、正式には「イスラエルパレスチナ紛争を二つの恒久国家により解決するための達成基準型行程表(A performance-based roadmap to a permanent two-state solution to the Israeli-Palestinian conflict)」。一般には「和平の行程表(Road Map to Peace)」、ロードマップなどと呼ばれる。パレスチナ暫定自治合意(オスロ合意)に基づく和平プロセスが事実上崩壊したのち、2003年4月に提示された和平への指針である。
 2001年9月にアメリカ合衆国中枢をねらった同時多発テロに対してアメリカが宣言した「対テロ戦争」の流れのなかで、イスラエルのシャロン首相は、パレスチナの過激派もテロリストであり、それを取り締まらないアラファト議長はテロ支援者であると糾弾し、2002年3月、パレスチナ自治区に侵攻した。
 同年6月、アメリカのブッシュ大統領は、イスラエルとパレスチナという二つの国家の平和的共存を目ざす演説を行い、これをもとにアメリカ、ロシア、ヨーロッパ連合(EU)、国連の4者(カルテット)が、翌2003年4月、イスラエルとパレスチナの双方に、新しい和平へのプロセスとしてロードマップを提示した。
 ロードマップは、パレスチナ側の過激派の解体とイスラエル側の入植活動の停止、パレスチナの市民生活の正常化と制度構築、イスラエル軍を2000年9月以前の位置まで撤退させること(第一段階)、2003年中に暫定的な国境をもつパレスチナ国家の樹立(第二段階)、国境線の画定と難民問題の話し合い(第三段階)によって、2005年までにパレスチナ国家の正式な樹立を実現するとしている。2003年6月、ブッシュ大統領、シャロン首相、パレスチナ自治政府のアッバス首相がヨルダンのアカバで会談し、二つの国家の平和共存を目ざし、ロードマップを実行することで合意した。同年11月、国連の安全保障理事会は、このロードマップを支持し、イスラエルとパレスチナの双方に義務履行を求める決議を採択した。
 オスロ合意が和平交渉を行うための枠組みについての合意であり、最終的なパレスチナ国家の樹立に言及していなかったのに対し、ロードマップはイスラエルとパレスチナの二国共存を最終目的とすること、そのための段階を明記した点で評価された。その一方で、当初から双方の合意に基づく行程表は非現実的との悲観論も強かった。
 アラファト議長の死去後、2005年1月に大統領(議長)に就任したアッバスは、翌月にはシャロン首相との首脳会談でロードマップに沿った和平の取り組みを確認、汚職や治安組織の再編に取り組んだ。同年9月にはイスラエル軍がガザから撤退するなど、進捗がみられた。だが、2006年1月の総選挙で対イスラエル強硬派のイスラム組織ハマスが大勝すると、自治政府の混乱とイスラエルによるガザ攻撃など暴力の応酬が激化した。イスラエルは入植活動を続け、テロ対策との名目で建設を進める「分離壁」(イスラエルでは「安全フェンス」)が自治区の日常生活や経済活動を阻害している。2013年3月にイスラエルとパレスチナを初訪問したアメリカのオバマ大統領は、パレスチナが和平交渉再開の前提とする入植地建設の中止について踏み込んだ発言を避け、具体的な進展はみられなかった。ロードマップはその第一段階も達成されていないが、イスラエルとパレスチナの双方が実施を確認した基本合意であり、和平交渉の指針となっている。[勝又郁子]
『平山健太郎、NHK「エルサレム」プロジェクト編著『ドキュメント 聖地エルサレム』(2004・日本放送出版協会) ▽船津靖著『パレスチナ――聖地の紛争』(中公新書)』

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