中橋村(読み)なかのはしむら

日本歴史地名大系 「中橋村」の解説

中橋村
なかのはしむら

[現在地名]津幡町中橋なかばし

津幡川下流左岸に位置。中ノ橋とも記す。正保郷帳では高一六八石余、田方七町六反余・畑方三町六反余。寛文一〇年(一六七〇)の村御印の草高一九九石、免六ツ一歩、小物成はなし(三箇国高物成帳)。寛文年間の百姓数五(高免付給人帳)。享和二年(一八〇二)の河北郡引免根帳(林文書)によると、津幡川および河北潟近くのためしばしば水害にあい、作毛不熟のため困窮至極として寛保二年(一七四二)より享和二年まで六度引免。文化八年(一八一一)産物として菜種二石ほど・布七疋ほど・九五ほど・さる縄九五束がある(「村々諸産物書上帳」新田文書)


中橋村
なかばしむら

[現在地名]美和町中橋

東は花正はなまさ村に接する。「寛文覚書」に戸数三二、人数一五六とある。「徇行記」によれば、概高六三五石余のうち二四四石余は藩士六人の給知。田は一九町六反四畝余、畑は一〇町六反五畝余で、「地高ク沼田ハ地卑クシ、用水ハ大矢枝井カヽリ蜂須賀・南麻績・北麻績・込野・中橋五ケ村組合ナリ、是ヲ蜂須賀江筋ト云、悪水ハ八ケ村組合也、此村ハ佃力不足ナレトモ一体耕田不足ナル故ニ、蜂須賀村ノ田畝ヲ承佃スト也、田ハマツチ也、畑ハシケ地故ニ木綿ハアシヽ、アカマツチ也」とあり、低湿地のために木綿の栽培もできないことを記す。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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