昭島市(読み)アキシマシ

デジタル大辞泉 「昭島市」の意味・読み・例文・類語

あきしま‐し【昭島市】

昭島

出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例

日本歴史地名大系 「昭島市」の解説

昭島市
あきしまし

面積:一七・三三平方キロ

都多摩地区のほぼ中央、武蔵野台地の南西部にあり、南を多摩川が東に向かって流れる。北部玉川上水が西から東へ流れる。北から東は立川市、北西は福生ふつさ市、南は八王子市・日野市に接する。市域ほぼ中央部をJR青梅線が南東から北西へ、JR八高線が南から北西へ通り拝島はいじま駅に至る。北部を西武拝島線が東へ通じる。道路は国道一六号(ほぼ旧日光脇往還)が南から北西へ抜け、南部を奥多摩街道・新奥多摩街道・江戸街道がほぼ東西に通る。昭和二九年(一九五四)昭和しようわ町と拝島村が合併して市制を施行した。市名はそれぞれの一字を合せて昭島市とした。

〔原始・古代〕

市域は多摩川に面した段丘地形が発達し、段丘上には縄文時代以降の約五〇ヵ所の遺跡が確認されている。縄文早期の遺跡は最上位の立川段丘上にあり、林ノ上はやしのうえ遺跡はかつての拝島式土器(現在の夏島式)の標準遺跡として学史的意義がある。縄文中期の遺跡は青柳段丘・拝島段丘上に点在し、西上にしうえ遺跡は勝坂期の集落として知られ、拝島町四―五丁目の龍津寺東りゆうしんじひがし遺跡は縄文中期―後期にかけての遺跡で、敷石住居なども発見されている。古墳時代では後期の小規模集落である拝島町三丁目の山ノ神やまのかみ遺跡のほか、大神おおがみ古墳(七世紀前半)や終末期の浄土じようど古墳群(五基)が調査されている。奈良・平安時代の集落は多摩川に面した段丘上一帯に分布し、代表的なものとして田中たなか町二丁目の偕生園かいせいえん遺跡、宮沢みやざわ町の経塚下きようづかした遺跡、福島ふくじま町の広福寺台こうふくじだい遺跡などがある。平安時代には沖積微高地にも集落が進出し、中神なかがみ町の東耕地ひがしこうち遺跡などが調査されている。なお奈良時代では玉川町たまがわちよう火葬墓があり、石櫃内で獣脚付有蓋短頸壺(都指定文化財)に納められた火葬骨が発見されている。市域は律令制下では多摩郡に属した。

〔中世〕

中世にさかのぼる集落は多摩川の河岸段丘上の宮沢みやざわ・大神・福島ふくじまなどで、古代末期、この地に勢力を伸ばした西党・村山党出身の在地武士らが段丘崖の湧水を利用して開発を進めたらしい。中世の紀年銘のある市内の板碑の三分の二以上はこれらの集落から発見されている(昭島市史)。拝島の大日堂の前身である浄土寺が鎌倉時代末に大神に創建された。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「昭島市」の意味・わかりやすい解説

昭島〔市〕
あきしま

東京都西部,立川市の西にある市。 1954年昭和町と拝島村が合体して市制。市名は町村名から1字ずつとってつけられた。日中戦争開戦頃までは養蚕の盛んな農村。 37年,昭和飛行機工業の工場が開設され,軍関係の施設,工場が進出してクワ畑の景観は一変した。第2次世界大戦後はほとんどの工場が閉鎖され,人口が激減したが,60年頃よりガラス,機械,電子,光学などの工場が誘致されて復興。工業化とともに住宅地化も進行し,農村の面影はほとんどみられなくなった。東部の立川基地跡地昭和記念公園がある。 JR青梅線,八高線,西武鉄道拝島線が通る。面積 17.34km2。人口 11万3949(2020)。

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