中里八幡宮(読み)なかざとはちまんぐう

日本歴史地名大系 「中里八幡宮」の解説

中里八幡宮
なかざとはちまんぐう

[現在地名]富士市中里

愛鷹あしたか山の南西麓、赤淵あかぶち川と須津すど川に挟まれた中里集落中央東寄りに鎮座する。法人名称は八幡宮。旧村社。祭神は応神天皇・神功皇后。文永年間(一二六四―七五)須津庄の地頭藤原(冷泉)隆茂が創建したといい(駿河記)、中世は須津庄の鎮守社であったとみられる。天文五年(一五三六)八月三〇日付今川義元判物(多門坊文書、以下断らない限り同文書)に、「駿河国須津庄八幡宮」とみえ、義元は神領一一石と供僧免を当宮別当多門坊に安堵している。年未詳七月二六日付今川義元禁制は、差出の署名と花押から太原雪斎(崇孚)の発給した文書であるが、印文「義元」の朱印が捺されており、須津中里の多門坊抱えの地に対する軍勢濫妨狼藉などを禁止したもので、河東一乱の最中、今川氏が須津一帯を回復した際に出されたものと思われる。天文一九年二月一二日には八幡社中並びに別当屋敷・愛鷹林ともに八幡社領として安堵し、社領での竹木伐採を禁じ(今川義元朱印状)、同年七月一一日には須津庄内の八幡別当屋敷銭一貫三六〇文余を寄進するなど手厚く保護している(今川義元判物)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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