日本歴史地名大系 「丸岡城跡」の解説 丸岡城跡まるおかじようあと 山形県:東田川郡櫛引町丸岡村丸岡城跡[現在地名]櫛引町丸岡丸岡の字町(まち)の内(うち)にある平城で、戦国時代、押切備前守の築城と伝える。中世の六十里越街道とされる南北路に沿い、旧赤(あか)川流路といわれる青竜寺(しようりゆうじ)川や内(うち)川に臨む要地にあたる。備前守が横山(よこやま)城(現三川町)に移った後は大浦(おおら)城(現鶴岡市)城主武藤義氏の弟(一説に甥)が当城に入り、丸岡兵庫を称した。天正一一年(一五八三)前森蔵人の謀反により義氏が大浦城で自刃すると、兵庫は武藤家の家督を継ぎ、大浦城へ移り義興を名乗った。その後の城主は明らかではない。元和元年(一六一五)幕命により破却されたが、寛永九年(一六三二)肥後熊本藩主加藤忠広(加藤清正の子)が改易され庄内藩主酒井忠勝に預けられた際、忠広の居所となった。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by