久保角太郎
くぼかくたろう
(1892―1944)
昭和期の宗教家。霊友会初代理事長。千葉県安房(あわ)郡湊(みなと)村(現、鴨川市)の松鷹(まつたか)家の三男に生まれる。小学校を終えて上京、大工修業のかたわら夜は工手学校(現、工学院大学)に通った。仕事が取り結ぶ縁で1919年(大正8)宗秩寮(そうちつりょう)総裁仙石(せんごく)子爵の家老格久保家の養子となり、宮内省営繕課に勤めた。入り婿の際、増子酉治(ますこゆうじ)(1885―1979)から法華(ほっけ)信仰の洗礼を受けた。しかし、仏所護念会を主宰する西田利蔵(1850―1918)の万霊供養の思想的影響のもとに、1920年に霊の友会を結成した。大正末年からは行者若月チセ(1884―1971)、戸次貞雄(べっきさだお)(1897―1965)と霊友会の活動を展開した。1930年(昭和5)には、万霊を祀(まつ)り、先祖を供養するという教義を掲げ、自ら理事長となり、実兄小谷安吉(こたにやすきち)の妻喜美(きみ)とともに霊友会を正式発足させ、第二次世界大戦後最大の新宗教教団の一つである霊友会の発展の基礎を築いた。
[藤井正雄 2018年6月19日]
出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例
久保 角太郎
クボ カクタロウ
昭和期の宗教家 霊友会創立者。
- 生年
- 明治25(1892)年1月7日
- 没年
- 昭和19(1944)年11月18日
- 出生地
- 千葉県小湊
- 旧姓(旧名)
- 松鷹
- 経歴
- 宮内省出入りの大工の徒弟となり、苦学して宮内省の技手となった。その働きぶりが仙石子爵の目にとまり、仙石家の家令久保家の養子となり、宮内省営繕課に就職。行儀見習いに預けられた増子酉吉の影響で法華経に帰依、霊能者若月チセと知り合い、大正9年霊の友会を結成した。14年に横浜の法華行者西田俊蔵と、実兄小谷安吉の妻喜美らと大日本霊友会(現・霊友会)を設立、喜美が会長、自分は理事長に就任。万霊を供養し祖先を崇拝するという教義が信者をふやし、法華系新興宗教の草分けである霊友会の基礎を築いた。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報
久保角太郎 くぼ-かくたろう
1892-1944 大正-昭和時代前期の宗教家。
明治25年1月7日生まれ。法華(ほっけ)信仰にひかれ,霊能者若月チセ(妙心)と知りあい,大正9年霊の友会を結成。14年実兄小谷安吉と喜美の夫妻とともに大日本霊友会を発足させて理事長に就任,教団の基礎をきずいた。昭和19年11月18日死去。53歳。千葉県出身。旧姓は松鷹。
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久保 角太郎 (くぼ かくたろう)
生年月日:1892年1月7日
昭和時代の宗教家
1944年没
出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報
世界大百科事典(旧版)内の久保角太郎の言及
【小谷喜美】より
…宗教法人[霊友会]初代会長。神奈川県三浦に生まれ,1925年に霊友会の教祖となる久保角太郎の実兄小谷安吉と結婚。久保の教導にふれ,霊友会創立につくし,30年7月会長に就任,布教に専念して,社会奉仕活動に尽力,霊友会の基礎をきずいた。…
【霊友会】より
…久保角太郎(1892‐1944)と[小谷喜美]が中心となって創立した在家主義仏教団。久保は,法華行者西田俊蔵の説く万霊供養の教えにひかれ,1919年霊の友会を創設,六親眷属たる家の先祖供養として説いて布教し,25年兄小谷安吉,その妻喜美と大日本霊友会を設立,喜美が会長に就任した。…
※「久保角太郎」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」