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久原庄三郎 くはら しょうざぶろう

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

久原庄三郎 くはら-しょうざぶろう

1840-1908 明治時代の実業家。
天保(てんぽう)11年生まれ。久原房之助(ふさのすけ)の父。兄藤田鹿太郎(しかたろう)と大阪に出,弟藤田伝三郎の商社にくわわる。贋札(がんさつ)事件で弟や兄らが逮捕されたさいに社業をまもった。明治14年3兄弟で藤田組(現同和鉱業)を設立。官営小坂鉱山払い下げをうけ,社主伝三郎を補佐した。明治41年12月30日死去。69歳。長門(ながと)(山口県)出身。旧姓は藤田。

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朝日日本歴史人物事典の解説

久原庄三郎

没年:明治41.12.30(1908)
生年:天保11(1840)
明治期の実業家。号は保徳。長門国萩(萩市)の酒造業者の藤田半衛門,亀夫婦の3男。久原家へ養子に出たが,久原家の養女の文は弟の藤田伝三郎を望んだが,謹厳な養父の安兵衛が実直な庄三郎に決めたという。義兄藤田千代之助,兄藤田鹿太郎と共に地方の旧家の家業を支えていたが,伝三郎の求めにより明治6(1873)年に上阪し,共に事業の基礎を固める。12年の藤田組贋札事件で伝三郎や鹿太郎らが拘留された折には,藤田伝三郎商社を支えた。14年の藤田組の設立時には,資本金6万円のうち1万5000円(持ち分4分の1)を出資,参加した。小坂鉱山の払い下げ時など,節目には名義人として表に出た。38年には家督を4男の房之助に譲り,藤田組の取締からも辞し,隠居した。弟の伝三郎がややもすると投機に走り,また書画骨董への趣味に溺れがちであったのを背後で支え,明治期の藤田組の発展に寄与するところ大であった。

(佐藤英達)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
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世界大百科事典内の久原庄三郎の言及

【藤田組】より

…1881年1月に藤田伝三郎を社主として,その実兄藤田鹿太郎,久原庄三郎の3名が出資して設立された企業。伝三郎は長州出身,酒造業者の四男として生まれた。…

※「久原庄三郎」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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