朝日日本歴史人物事典 「久原庄三郎」の解説
久原庄三郎
生年:天保11(1840)
明治期の実業家。号は保徳。長門国萩(萩市)の酒造業者の藤田半衛門,亀夫婦の3男。久原家へ養子に出たが,久原家の養女の文は弟の藤田伝三郎を望んだが,謹厳な養父の安兵衛が実直な庄三郎に決めたという。義兄藤田千代之助,兄藤田鹿太郎と共に地方の旧家の家業を支えていたが,伝三郎の求めにより明治6(1873)年に上阪し,共に事業の基礎を固める。12年の藤田組贋札事件で伝三郎や鹿太郎らが拘留された折には,藤田伝三郎商社を支えた。14年の藤田組の設立時には,資本金6万円のうち1万5000円(持ち分4分の1)を出資,参加した。小坂鉱山の払い下げ時など,節目には名義人として表に出た。38年には家督を4男の房之助に譲り,藤田組の取締からも辞し,隠居した。弟の伝三郎がややもすると投機に走り,また書画骨董への趣味に溺れがちであったのを背後で支え,明治期の藤田組の発展に寄与するところ大であった。
(佐藤英達)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報