日本歴史地名大系 「久得」の解説 久得ぎゆうとく 鹿児島県:姶良郡蒲生町久得中世にみえる蒲生院内の地名。蒲生川支流の前郷(まえごう)川と後郷(うしろごう)川の合流点一帯、現上久徳(かみぎゆうとく)・下久徳・久末(ひさすえ)付近に比定される。久徳とも記される。建治二年(一二七六)八月日の石築地役配符写(調所氏家譜)によると、蒲生院一四二町三〇〇歩のうちに「久得七十二丁反(ママ)小」がみえ、貢進田二町六段を除いた定田六九町五段小に石築地役六丈九尺五寸四分が課されていた。 久得くどく 沖縄県:沖縄島中部嘉手納町屋良村久得[現在地名]嘉手納町久得比謝(ひじや)川北岸にある。もとは屋良(やら)村の北に形成された屋取集落で、クドゥクとよばれる。一八九三年(明治二六年)尚家の久得(くどうく)杣山内字ヒラ山(やま)開墾の募集をうけて首里・那覇の士族が移住したのが集落の始まり(嘉手納町史)。各町村並屋取調には「当字ハ普通ノ開墾地ニテ民家ハナカリシガ、今ヨリ三十五・六年前ヨリ部落ヲナシ」と記載される。屋取構成員は馬氏宮平家・柳氏田仲家・劉氏勢理客家(現町田姓)・向氏大城家・翁氏稲嶺家などの士族が中心(嘉手納町史)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by