日本大百科全書(ニッポニカ) 「乙訓古墳群」の意味・わかりやすい解説
乙訓古墳群
おとくにこふんぐん
京都府の旧乙訓郡域、桂(かつら)川西岸の長岡丘陵周辺に所在する古墳群の総称。とくに京都市西京区樫原(かたぎはら)から向日(むこう)市、長岡京市にかけての長岡(向日)丘陵の稜線上に前期古墳が並ぶことで知られる。北から百々池(どどいけ)(円墳、径50メートル?)、一本松塚(前方後円墳、全長100メートル)、寺戸(てらど)大塚(前方後円墳、全長98メートル)、妙見山(前方後円墳、全長115メートル)、五塚原(いつかはら)(前方後円墳、全長94メートル)、北山(前方後円墳、後円部径12メートル)、元稲荷(もといなり)(前方後方墳、全長94メートル)の各古墳があり、三角縁神獣鏡など複数の鏡が出土している。なお、この古墳群の埴輪(はにわ)の検討が円筒埴輪編年の基礎となった。
[今井 尭]