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神像と獣形とを組み合わせて内区の図文を構成する神獣鏡のうちで,鏡縁を厚く作ったために,縁の断面が三角形になっている鏡。ほとんどは直径23cm前後の大型鏡であって,同笵(どうはん)鏡が多いことも他の神獣鏡とは異なる。神像・獣形の数によって,四神四獣鏡,三神三獣鏡,二神二獣鏡などと呼び分けるが,数は同じであっても配列に変化を示すものがある。その神像・獣形の表現に,方格規矩四神鏡のような線表出でもなく,また画像鏡のような平浮彫でもなく,まるみをもって盛りあがる丸浮彫を用いていることは,後漢の神獣鏡と同様である。表現方法のみでなく,神像・獣形の配列も先行する神獣鏡からうけついだ点が多い。たとえば,鏡銘に魏の景初3年(239)や正始元年(240)の紀年をふくむ鏡は,重列式神獣鏡と同じ配列を用いている。獣形の前後肢の基部を環状に表現しているので,環状乳神獣鏡と呼ぶ鏡の内区を模作したものもある。
しかし,先行する神獣鏡から借用したのは内区の図文のみであって,内区の外周をめぐる半円方形帯や,平縁(ひらぶち)の外区を飾る画文帯などを再現することは,三角縁神獣鏡ではきわめてまれである。そうして,内区の外周には,複雑な画文帯を分解して作った簡単な獣文帯や,唐草文帯,あるいは複線波文帯をめぐらすことをはじめた。また外区には,2列の鋸歯文帯のあいだに複線波文帯をはさんだ幾何学文様を用いることが定型化した。この外区の幾何学文様と,鏡縁の厚さを増して三角縁に近づけることとは,後漢代を通じて,種々の鏡式において,徐々に出現しつつあった手法の変化である。
三角縁神獣鏡を特色づける手法のひとつに,内区の神像・獣形のあいだに配置した乳(にゆう)(半球ないし円錐状の突起)の使用がある。先行する神獣鏡のなかでは,重列式神獣鏡のみが乳をもち,他の神獣鏡は内区に乳を用いなかった。かつ,重列式神獣鏡における乳の用法は,神像あるいは獣形の中心に乳をおくものであった。それにたいして,三角縁神獣鏡では,隣接する神像・獣形の図形の境界線上に乳を配置している。図形の境界線上に乳を配置することによって,大型になった内区における,図形の正確な配列を容易にしたのである。
三角縁神獣鏡の銘文は,後漢の諸鏡の銘文を継承したものと,独自に創作したものとがある。たとえば,四言句を用いた〈新作大竟(鏡),幽律三剛,配徳君子,清而且明,銅出徐州,師出洛陽,彫文刻鏤,皆作文章,左竜右虎,師(獅)子有名,取者大吉,長宜子孫〉という鏡銘は,産銅地や鋳工の出自にふれた句をふくむことのほかに,後漢の神獣鏡に通有の四言句鏡銘とは内容を異にしている。七言句を用いた〈陳是作竟(鏡)甚大好,上有神守及竜虎,身有文章口銜巨,古有聖人東王父西王母,渇飲玉洤飢食棗,長相保〉,あるいは〈吾作明竟(鏡)甚大工(巧),上有王喬以赤松,師(獅)子天鹿其粦(麒麟)竜,天下名好世無双〉など,先行の鏡銘とくらべて,神仙思想を濃厚にしたものがある。
三角縁神獣鏡には,中国鏡のほかに,日本で模作した仿製(ぼうせい)鏡もある。そのうち,中国製の三角縁神獣鏡が魏・晋代のものであることは,大正期から日本の学者が力説してきたところである。その後,日本の古墳からの出土数が増加するにつれて,《魏志倭人伝》に魏が邪馬台国の女王卑弥呼に与えたと記す〈銅鏡百枚〉に相当する鏡は,三角縁神獣鏡をおいて他に求められないことが判明してきた。しかし,この種の鏡が中国ではほとんど出土例がないという事実の説明には,まだ不十分な点があった。魏の鏡でありながら,中国では出土しないというのは,魏の外交政策の担当者が,朝貢した倭人に与えるために,特別にこれらの鏡を作ったと考えることによって理解すべきであろう。三角縁神獣鏡に〈景初3年〉および〈正始元年〉の紀年をもつものがあることも,その製作の事情を反映するものである。
→鏡
執筆者:小林 行雄
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縁の断面形が突出して三角形をなすのを特徴とし、神像や獣形などを半肉彫りで表現した鏡。「さんかくえん~」ともいう。面径が20センチメートルを超える大形鏡である。主文様は銘文とともに中国の神仙思想を表したものとされる。図文は放射状ないし重層的に配される。前者はさらに神像と獣形の数によって数種に分類される。銘文に「景初三年」(239)、「正始元年」(240)など魏(ぎ)の年号をもつ例があり、また、その他の理由からも本鏡は魏の鏡といわれる。『魏志倭人伝(ぎしわじんでん)』の記事と対比して、卑弥呼(ひみこ)が魏から輸入した鏡と考えられ、その後、大和(やまと)朝廷が各地の首長と政治的関係を結ぶために配布したとする説が有力である。実際、日本の初期古墳から多く出土しているが、中国や日本の弥生(やよい)時代遺跡からの発見例がなく、不自然な点も指摘されている。中国鏡とそれをまねた倭鏡(仿製(ぼうせい)鏡)とがあるとされ、同じ鋳型からつくったといわれる同笵(どうはん)鏡の多いことも注目される。化学分析の結果から、原料の鉛鉱石産地の追求が進みつつある。
[橋本博文]
縁の断面形が三角形をなす神獣鏡。前期古墳から大量に出土。面の径は21cm前後の大型品が多い。主文には神像と獣形を放射状あるいは重層的に配し,これに車馬・傘松形・香炉などが加わる場合もある。神像と獣形の数によって二神二獣鏡・三神三獣鏡・四神二獣鏡などに区別される。「景初三年」(239)「正始元年」(240)など魏(ぎ)の年号をもつものがあり,「魏志倭人伝」にいう卑弥呼(ひみこ)が魏からもらった鏡100面がこれにあたるとする説がある。しかしこれまでに中国ではこの類の鏡の発見例はない。一方,これを魏鏡ではなく日本に渡来した呉(ご)の工人によって製作された鏡とする説もある。また京都府椿井(つばい)大塚山古墳を中心として,同笵(どうはん)鏡が各地に多く分布することから,古墳時代の大和政権の支配構造を把握する理論も展開されている。1997年(平成9)には奈良県黒塚古墳から三角縁神獣鏡33面と画文帯神獣鏡1面が出土した。
出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報
出典 旺文社日本史事典 三訂版旺文社日本史事典 三訂版について 情報
… 古墳時代の鏡は,祭祀遺跡の出土品もあるが,ほとんどが古墳の副葬品であり,先に挙げた漢鏡に加えて,三国六朝鏡が出現し,さらに日本列島で製作した仿製鏡も多数含まれている。とくに,三国六朝鏡では,三角縁神獣鏡が注目される。魏・晋と邪馬台国との数次におよぶ交渉によって入手されたと推定される三角縁神獣鏡には,同じ一つの鋳型を使って複数の製品を作った同笵鏡が多数存在するのが特色となっている。…
…鏡が宝器としての取扱いをうけていたことは,古く輸入した中国鏡を,数世紀にわたって伝世している事実からも推察できるが,中国鏡ばかりでなく,それを参考にして日本で作り始めた仿製鏡(ぼうせいきよう)も,新しく首長層の所有品のうちに加わるようになった。魏の時代に輸入した大量の三角縁神獣鏡は,畿内を中心として北九州から関東の一部にまで,広く国内に配布されるにいたった。仿製鏡の場合にも,とくに優秀な大型の製品の分布や,全体の分布の密度からみると,やはり畿内を中心として製作し,配布したものと考えることができる。…
…後漢の中ごろにあらわれ,三国・西晋時代に流行し,南北朝までつづいた鏡であり,当時民間に普及した神仙思想を背景としている。縁の形態によって平縁神獣鏡と三角縁神獣鏡とがある。また文様の配列により,中央の鈕を中心にした放射式・周列式・求心式神獣鏡,一方向からみる重列式・同向式神獣鏡,対置する形式である対置式神獣鏡がある。…
…笵は鋳型のことである。中国鏡として同じ鋳型で作った同笵鏡の多いのは魏の三角縁神獣鏡であるが,後漢の四神鏡や神獣鏡などにも少数の先行例を見る。日本でも仿製(ぼうせい)の三角縁神獣鏡や内行花文鏡にその実例がある(仿製鏡)。…
※「三角縁神獣鏡」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
[1973~ ]プロ野球選手。愛知の生まれ。本名、鈴木一朗。平成3年(1991)オリックスに入団。平成6年(1994)、当時のプロ野球新記録となる1シーズン210安打を放ち首位打者となる。平成13年(...
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