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九条良通 くじょうよしみち

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

九条良通
くじょうよしみち

[生]仁安2(1167)
[没]文治4(1188).2.20.
鎌倉時代初期の公卿。兼実の子。母は藤原季行の娘。治承2 (1178) 年,非参議,従三位となって以来,文治2 (86) 年内大臣まで累進したが急死。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

九条良通 くじょう-よしみち

1167-1188 平安時代後期の公卿(くぎょう)。
仁安(にんあん)2年11月6日生まれ。九条兼実(かねざね)の長男。伯母皇嘉(こうか)門院の養子となる。治承(じしょう)2年従三位。のち正二位,内大臣にすすんだ。和漢の才をもち九条家の後継者として期待をあつめていたが,文治(ぶんじ)4年2月20日急死。22歳。「千載和歌集」に歌がみられる。通称は九条内大臣。

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朝日日本歴史人物事典の解説

九条良通

没年:文治4.2.20(1188.3.19)
生年:仁安2(1167)
平安末期の公卿。九条兼実の嫡男。母は従三位藤原季行の娘。皇嘉門院の養子となる。侍従,右近中将,同大将などを経て,文治2(1186)年内大臣。九条家の後継者として将来を嘱望されたが,病がちで公事に参加できないことも多く,文治4年就寝中に22歳で急死した。これは父兼実に多大の衝撃を与え,日記『玉葉』の記録も中断,一時出家を考えたほどであったらしい。良通は和漢の才に秀で,兼実は「文章是得天骨,詩句多在人口」と記す。同母弟良経と共に頻繁に連句や詩に興じ,連句,詩会などを催すこと『玉葉』による限りでも約40回におよび,また詠歌も試みた。良経は兄の没後,夢の中で亡兄が六韻の詩を呈し,これに和せと示したという。<参考文献>久保田淳『新古今歌人の研究』

(田渕句美子)

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367日誕生日大事典の解説

九条良通 (くじょうよしみち)

生年月日:1167年11月6日
平安時代後期の公卿
1188年没

出典|日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について | 情報

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