日本歴史地名大系 「八軒町」の解説
八軒町
はつけんちよう
八軒町
はちけんちよう
八軒町
はちけんまち
八軒町
はちけんまち
八軒町
はちけんちよう
八軒町
はちけんちよう
八軒町
はつけんまち
八軒町
はちけんちよう
東西に通る
平安京の条坊では左京七条四坊一保七町、平安中期以降は左女牛万里小路南の地。
寛永一四年(一六三七)洛中絵図には「八軒町二丁目」、寛永以後万治以前京都全図では「八軒町但片原丁」、寛文後期洛中洛外之絵図及び宝永二年(一七〇五)洛中洛外絵図に「八軒丁」とみえる。町名は寛永八年に町地となった時、八戸の人家があるのみであったことによる(坊目誌)。
宝暦一二年(一七六二)刊「京町鑑」は、「八軒町 此辺古六条院の旧地にして、其跡東本願寺の内に有とぞ、則今の境内の池は古の池なり、古老曰、中頃の事にか此池の端に女あまた住んで針を商ひしを、池の
八軒町
はちけんちよう
八軒町
はちけんちよう
八軒町
はちけんまち
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報