亀井茲監(読み)かめいこれみ

日本大百科全書(ニッポニカ) 「亀井茲監」の意味・わかりやすい解説

亀井茲監
かめいこれみ
(1824―1885)

江戸末期、石見(いわみ)国(島根県)津和野(つわの)藩主。号は勤齋(ごんさい)。久留米(くるめ)藩主有馬頼徳(ありまよりのり)の次男として生まれ、15歳で亀井茲方(これのり)の養嗣子(ようしし)となる。隠岐守(おきのかみ)と称する。藩内改革に努めるとともに、海防にも意を配り、小藩ながらも勤王運動に貢献。維新後は新政府の参与事務局判事となり、神祇(じんぎ)官の首脳として重きをなした。また薩長土肥(さっちょうどひ)に先だって廃藩を実施。明治18年3月23日没。養嗣子の茲明は父の勲功により子爵を賜る(のち伯爵)。

[大原康男]

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新訂 政治家人名事典 明治~昭和 「亀井茲監」の解説

亀井 茲監
カメイ コレミ


肩書
津和野藩知事

生年月日
文政8年10月5日(1825年)

経歴
天保10年津和野藩主を襲封殖産興業と兵制改革につとめる。維新後は新政府の参与などを経て、明治2年版籍奉還により津和野藩知事。

没年月日
明治18年3月23日

出典 日外アソシエーツ「新訂 政治家人名事典 明治~昭和」(2003年刊)新訂 政治家人名事典 明治~昭和について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「亀井茲監」の解説

亀井茲監 かめい-これみ

1825-1885 幕末-明治時代大名
文政8年10月5日生まれ。筑後(ちくご)(福岡県)久留米藩主有馬頼徳(よりのり)の子。天保(てんぽう)10年亀井茲方(これかた)の養子となり,石見(いわみ)(島根県)津和野藩主亀井家11代。人事刷新,洋式兵制の採用,海防の強化をはかるなど藩政の改革につとめた。長門(ながと)(山口県)萩(はぎ)藩とかかわりがふかく,七卿落ちなどを擁護した。明治18年3月23日死去。61歳。号は勤斎。

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367日誕生日大事典 「亀井茲監」の解説

亀井 茲監 (かめい これみ)

生年月日:1825年10月5日
江戸時代;明治時代の伯爵;久留米藩主;津和野藩知事
1885年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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