日本大百科全書(ニッポニカ) 「予定論」の意味・わかりやすい解説
予定論
よていろん
praedestinatio
神の救いは、人間の側の行為や努力にかかわりなく、すでに定められているというキリスト教の教説。予定説ともいう。『旧約聖書』においてイスラエル民族は、その卑小さにもかかわらず神の選民としてたてられており、背信と亡国ののちも、その「残れる者」は究極的な救いに予定されているという信仰が一貫しており、『新約聖書』は「新しいイスラエル」の自意識のもとにこれを継承した。パウロの「ロマ書」(8章29―30)、「ガラテヤ書」(1章15)、「ピリピ書」(2章13)などは予定論の古典的典拠となる。
教父たちはこれを発展させ、アウグスティヌスに至って神学論として完結をみた。それは救いにおいて神の恵みがすべてであることを表現する教説で、アウグスティヌスによれば、救いへの願いが生起し、それが保持され、ついに完成に至るのもすべて神の恩恵のゆえである。その点で予定論は、世界観的な宿命論や哲学的な予知論praescientiaとははっきりと区別されなければならない。
16世紀の宗教改革者たちはアウグスティヌスを受け継いで、その恩恵論的側面をいっそう強調した。ルターにとって予定論は「信仰のみ」「聖書のみ」の二大原理への有力な契機となり、また自由意志論争での論拠であった。カルバンは、論理的帰結として二重予定論praedestinatio gemina、すなわち「ある者は救いに、しかして他の者は滅びに予定されている」という教説を主張し、激しい論争を巻き起こしたが、その主著『キリスト教綱要』(1536)でも予定論は恩恵論に含まれることから、その論旨は明白である。カルバンにあって予定論は、徹底的に救済論に沿って形成され、しかもそこから予定された聖徒のこの世にある積極的生き方という倫理面にまで展開された。資本主義の「精神」とそれを結び合わせるM・ウェーバーの所説には賛否が少なくない。
[出村 彰]