デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「五十嵐信平」の解説
五十嵐信平(初代) いがらし-しんぺい
摂津島上郡古曾部(こそべ)村(大阪府高槻(たかつき)市)の人。寛政3年(1791)ごろ同地の古陶を復活させ,古曾部の印をもちいた。文政年間(1818-30)に80歳で死去。通称は四郎兵衛。名は新平ともかく。古曾部焼は小堀遠州の「遠州七窯(なながま)」のひとつとされ,明治末までつづいた。
五十嵐信平(3代) いがらし-しんぺい
天保(てんぽう)4年生まれ。2代の子。家業をつぎ,古曾部焼を製作した。先代とことなり,釉薬(ゆうやく)をかえ,中国の辰砂風の小器など,各地の陶磁器を模した種々の製品をつくりだした。明治15年10月死去。50歳。