五条内裏跡(読み)ごじようだいりあと

日本歴史地名大系 「五条内裏跡」の解説

五条内裏跡
ごじようだいりあと

院政期の里内裏の一。六条天皇の五条内裏と、高倉安徳天皇の五条内裏があるが、「拾芥抄」東京図はこれを区別せず、五条大路南・東洞院大路西・樋口小路北・烏丸小路東の方一町を、「五条殿」と記す。これに従えば、現在の俊成しゆんぜい町・吉水よしみず町全域、大江おおえ町西側・大堀おおぼり町北側・五条烏丸ごじようからすま町東側の地にあたる。

六条天皇の五条内裏については、「百錬抄」仁安二年九月二七日条に「皇居五条東洞院焼亡」とあり、五条東洞院大路付近にあったことが知れる。「玉葉」同日条は、この焼失した仮皇居を「五条内裡」と記している。焼失後の再建の記事は、管見の限りみえない。

ただしその後、同じく五条東洞院の地に新造された大納言藤原邦綱の邸宅が、高倉・安徳両天皇の仮皇居となっている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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