新撰 芸能人物事典 明治~平成 「井上大輔」の解説
井上 大輔
イノウエ ダイスケ
- 職業
- 作曲家 ミュージシャン
- 本名
- 井上 忠夫(いのうえ・ただお)
- グループ名
- グループ名=ジャッキー吉川とブルー・コメッツ
- 生年月日
- 昭和16年 9月13日
- 出生地
- 東京市(東京都)
- 学歴
- 日大附属豊山高卒 日本大学芸術学部卒
- 経歴
- 東京・有楽町に寿司屋の長男として生まれる。泰明小学校時代はコーラス部に所属。日本大学附属豊山高校2年からブラスバンドでクラリネットを吹き始める。日本大学芸術学部在学中の昭和38年、ジャッキー吉川に誘われブルー・コメッツに加入し、本名の井上忠夫でテナーサックス、フルートを担当。40年小田啓義、高橋健二、三原綱木のメンバー5人が揃う。当初は伴奏楽団だったが、地方公演で尾藤イサオが汽車に乗り遅れてステージに穴を開けたため、代わりに歌ったことがきっかけで歌にも進出し、リードボーカルも担当することとなった。すぎやまこういちがディレクターを務めていた音楽番組「ザ・ヒットパレード」にレギュラーのバックバンドとして出演し注目を集め、やがて、すぎやまの勧めでオリジナル曲の作曲に着手。41年橋本淳が歌詞を付けた「青い瞳」をリリース、これをきっかけにグループサウンズ(GS)ブームが到来した。42年木の実ナナのために書いた「ブルー・シャトウ」をブルー・コメッツで歌ったところ当時としては異例の100万枚を超える大ヒットとなり(作曲に際してはテレビから流れてきた「月の沙漠」にヒントを得たという)、日本レコード大賞を受賞。このとき大賞を争ったのは、自身がアレンジし、ブルー・コメッツが演奏した美空ひばり「真っ赤な太陽」であった。GSを代表するグループの一つと目されたが、他のグループが長髪できらびやかな衣装を着る中で、短髪のスーツ姿で演奏し、その堅いイメージからGSとして唯一NHKへの出演が許されたといわれ、同年NHK「紅白歌合戦」にも出場。またこの年ビートルズが来日すると前座として出演、ビートルズがステージに上がる露払いに日本側共演者全員で歌った「ウェルカム・ビートルズ」という曲も作曲している。43年には米国の人気テレビ番組「エド・サリバン・ショー」に出演、前奏に箏を配するなど邦楽器を取り入れるアイデアを出し、全米に「雅楽・ブルー・シャトウ」を披露した。ブルー・コメッツでは「青い渚」「マリアの泉」「北国の二人」「こころの虹」「海辺の石段」「それはキッスで始まった」「泣きながら恋をして」「むらさき日記」「雨の讃美歌」などの曲を書いたが、47年脱退して作曲家に転身。48年フィンガー5が歌った「恋のダイヤル6700」「学園天国」を皮切りに、シャネルズ(ラッツ&スター)「ランナウェイ」「め組のひと」、シブがき隊「NAI・NAI16」「100%…SOかもね!」「ZIG ZAGセブンティーン」、葛城ユキ「ボヘミアン」、郷ひろみ「2億4千万の瞳―エキゾチック・ジャパン」など数多くのヒット曲を送り出し、職人的作曲家として活躍。また51年初のソロアルバム「水中花」を発表して以来、作曲の傍らで歌手としても活動を続けた。56年〜57年には大学の同級生であるアニメ監督・富野由悠季が手がけた人気アニメ「機動戦士ガンダム」の劇場版第2作「機動戦士ガンダムII 哀・戦士編」、第3作「機動戦士ガンダムIII めぐりあい宇宙編」の主題歌「哀・戦士」「めぐりあい」(作詞は富野監督が筆名・井荻麟で担当)を自ら歌い、平成11年富野監督と共同でガンダム20周年記念レコード「Reverbration in GUNDAM」をプロデュース。アニメ・特撮では「機甲界ガリアン」「機甲戦記ドラグナー」「光戦隊マスクマン」の主題歌などで印象的な仕事を残した。“ダイちゃん”という愛称は内田裕也の命名で、当時活躍していた青春スターの井上大助にちなみ、後年は本名ではなく、井上大輔の筆名を用いた。
- 受賞
- 日本レコード大賞(第9回)〔昭和42年〕「ブルー・シャトウ」,日本作曲大賞(優秀作曲者賞 第1回・7回)〔昭和56年・昭和62年〕「ハリケーン」「哀・戦士」「サマー・ラブ」,FNS歌謡祭(最優秀作曲賞 第9回)〔昭和57年〕,日本レコードセールス大賞(作曲賞 第16回)〔昭和58年〕,日本レコード大賞(日本作曲家協会特別功労賞 第42回)〔平成12年〕
- 没年月日
- 平成12年 5月30日 (2000年)
- 伝記
- “ブルー・シャトウ”は永遠なりエノケンの泣笑い人生 ジャッキー吉川 著榎本 健 著(発行元 近代映画社大空社 ’00’98発行)
出典 日外アソシエーツ「新撰 芸能人物事典 明治~平成」(2010年刊)新撰 芸能人物事典 明治~平成について 情報