井上広居(読み)イノウエ ヒロヤス

20世紀日本人名事典 「井上広居」の解説

井上 広居
イノウエ ヒロヤス

明治〜昭和期の政治家,新聞経営者 秋田市長;衆院議員(憲政会)。



生年
元治1年10月4日(1864年)

没年
昭和31(1956)年6月5日

出生地
出羽国秋田城下(秋田県秋田市)

旧姓(旧名)
小貫

別名
幼名=金之助,号=雪竹

学歴〔年〕
東京専門学校(現・早稲田大学)〔明治19年〕卒

経歴
小貫久之進の二男に生まれ、幼名は金之助。7歳で井上福治の養嗣子となる。四如堂や神沢素堂塾に学び陽明学も修める。のち「秋田新報」の主筆となり、明治22年「秋田魁新報」を創刊、31年社長に就任。大正5年一旦社長を退くが、昭和12〜20年再任した。この間、明治25年秋田市議となり、30年議長、35年秋田県議となり、のち議長を務め、45年衆院議員(憲政会)に当選2回。大正5年から17年間秋田市長を務めた。党派にとらわれず市民・県民の希望に応え、茨島工業地帯、船川・秋田港の連結開発、新国道、大秋田市構想などの長期計画を立て秋田の事業開発に貢献した。また公私の区別をはっきりつける言動で言論界・政界長老としても活躍。雪竹の号で書家としても知られる。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

新訂 政治家人名事典 明治~昭和 「井上広居」の解説

井上 広居
イノウエ ヒロヤス


肩書
衆院議員(憲政会),秋田市長

生年月日
元治1年10月4日(1864年)

出生地
出羽国秋田郡(秋田県)

学歴
東京専門学校(現・早稲田大学)卒

経歴
明治22年「秋田魁新報」を創刊、のち社長に就任。45年衆議院議員。大正5年秋田市長となり、17年間つとめた。

没年月日
昭和31年6月5日

出典 日外アソシエーツ「新訂 政治家人名事典 明治~昭和」(2003年刊)新訂 政治家人名事典 明治~昭和について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「井上広居」の解説

井上広居 いのうえ-ひろやす

1864-1956 明治-昭和時代前期の政治家,新聞経営者。
元治(げんじ)元年10月4日生まれ。「秋田新報」の主筆となり,明治22年「秋田魁(さきがけ)新報」を創刊,のち社長。45年衆議院議員(当選2回,憲政会)。大正5年から17年間秋田市長をつとめた。昭和31年6月5日死去。91歳。出羽(でわ)秋田郡出身。東京専門学校(現早大)卒。旧姓は小貫。
格言など】真の政治家は五十の計をもたねばならぬ(信条)

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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