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秋田魁新報 あきたさきがけしんぽう

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

秋田魁新報
あきたさきがけしんぽう

秋田県で発行されている代表的日刊紙前身は 1874年鳥山捨三 (のちに新聞小説の作家として有名になった宇田川文海) が編集者になって創刊した『遐邇 (かじ) 新聞』。その後,「秋田遐邇新聞」「秋田日報」「秋田新報」と改題。 89年には県会と衝突して発行停止処分を受けたが,同年現紙名に改題創刊。明治末から安藤和風 (はるかぜ) ,井上広居などすぐれた記者を得て発展した。発行部数は朝刊・夕刊ともに 26万 1399 (1996) 。

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百科事典マイペディアの解説

秋田魁新報【あきたさきがけしんぽう】

秋田県の代表的日刊紙。1873年創刊の《遐邇(かじ)新聞》を前身とし,《秋田日報》,《秋田新報》などと改題後,1889年現名となる。1950年夕刊秋田を合併本社秋田市

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デジタル大辞泉プラスの解説

秋田魁新報

株式会社秋田魁新報社が販売する新聞。主な販売地域は秋田県。朝刊のみ発行。1874年創刊。前身は遐邇(かじ)新聞。

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世界大百科事典 第2版の解説

あきたさきがけしんぽう【秋田魁新報】

秋田県の代表的日刊紙。1874年2月2日《遐邇(かじ)新聞》の題で創刊,以後《秋田遐邇新聞》(1878),《秋田日報》(1882),《秋田新報》(1887)と改題。77年日刊となる。80年代に入ると自由民権運動に関する記事が多くなり改進党色を強め,83年には犬養毅主筆として一時在社したが,政府の弾圧により,党勢が衰えるとともに休刊復刊をくり返した。88年青山貞知事を攻撃して発行停止処分をうけたので,翌89年2月15日《秋田魁新報》と改題創刊,今日に至る。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

秋田魁新報
あきたさきがけしんぽう

秋田県における有力日刊新聞。朝夕刊セット発行で、秋田県内では『朝日』『毎日』『読売』などの全国紙や、他の地方紙を圧倒的に凌駕(りょうが)する部数を誇っている。その前身は1874年(明治7)2月2日、秋田で創刊された『遐邇(かじ)新聞』である。その後『秋田遐邇新聞』『秋田日報』『秋田新報』と改題。1888年県会と衝突して発行停止となったが、1889年2月15日に『秋田魁新報』の題号で第1号を発行、現在に至っている。「文章報国、踏正勿懼(せいをふんでおそるることなかれ)」を社是とし、「新聞の自由独立と不偏不党堅持、公正なる県民の世論反映」などを編集綱領に掲げている。発行部数は朝夕刊セットで約25万4000部(2010)。[高須正郎・伊藤高史]

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