日本大百科全書(ニッポニカ) 「井上頼囶」の意味・わかりやすい解説
井上頼囶
いのうえよりくに
(1839―1914)
幕末・明治時代の国学者。通称は大学、肥後(ひご)。天保(てんぽう)10年2月18日江戸・神田に生まれ、幼少より学問に親しんだ。長唄(ながうた)や武術など余芸にも優れ、長じて平田篤胤(ひらたあつたね)の気吹舎(いぶきのや)に入門、国学を学ぶ。また権田直助(ごんだなおすけ)のもとで医道にも励んだ。明治維新後、私塾神習舎(じんしゅうしゃ)を開くほか、教部省出仕、大神(おおみわ)神社少宮司を歴任。ついで宮内省に移り、矢野玄道(やのはるみち)とともに系図編纂(へんさん)に従事するかたわら、国学、神道界の重鎮として皇典講究所(現、国学院大学)設立や『古事類苑(こじるいえん)』編集などに努力した。大正3年7月4日没。著書に『後宮制度沿革考』などがある。
[阪本是丸 2016年8月19日]
『田辺勝哉編・刊『井上頼囶翁小伝』(1921)』