朝日日本歴史人物事典 「井沢長秀」の解説
井沢長秀
生年:寛文8(1668)
江戸前期の神道家,国学者。通称は十郎左衛門。名は節ともいった。号は蟠竜,亨斎,元水。肥後熊本藩士井沢勘兵衛の子。山崎闇斎の門人に神道を学んだ。宝永3(1706)年『本朝俗説弁』の出版以後,旺盛な著述活動に入り,『神道天瓊矛記』などの神道書,『菊池佐々軍記』などの軍記物,『武士訓』などの教訓書,『本朝俚諺』などの辞書,『肥後地志略』などの地誌と幅広く活躍した。なかでも考証随筆『広益俗説弁』全45巻(1715~27)はよく読まれ,のちの読本の素材源にもなった。また,『今昔物語』を出版しており,校訂の杜撰さを非難されるが,それまで極めて狭い範囲でしか流布していなかった本書を読書界に提供した功績はけっして小さくない。<参考文献>白石良夫「井沢蟠竜の著述とその周辺」(『近世文芸』45号)
(白石良夫)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報