日本大百科全書(ニッポニカ) 「京ヶ瀬」の意味・わかりやすい解説
京ヶ瀬
きょうがせ
新潟県中北部、北蒲原郡(きたかんばらぐん)にあった旧村名(京ヶ瀬村(むら))。現在は阿賀野(あがの)市の西部を占める一地区。2004年(平成16)安田町、水原(すいばら)町、笹神(ささかみ)村と合併して市制施行、阿賀野市となる。旧京ヶ瀬村は、阿賀野(あがの)川谷口扇状地面の環状蛇行部の自然堤防上に発生した純農村。JR羽越本線(うえつ)、国道49号、460号が通じる。古くから阿賀野川自然堤防外地の中州畑(なかすばた)を利用した根菜類の生産地として知られ、肉牛飼育、養豚業も盛んである。京ヶ瀬駅の近くの梅護寺(ばいごじ)は親鸞上人(しんらんしょうにん)遺跡地で「八房(やつふさ)の梅」や「梅護寺の数珠掛ザクラ(ばいごじのじゅずかけざくら)」(国指定天然記念物)がある。
[山崎久雄]