京山小円(読み)きょうやまこえん

改訂新版 世界大百科事典 「京山小円」の意味・わかりやすい解説

京山小円 (きょうやまこえん)
生没年:1876-1928(明治9-昭和3)

浪曲家。本名吉田松吉。2代目京山恭安斎門下。桃中軒雲右衛門(とうちゆうけんくもえもん),吉田奈良丸と並ぶ明治末期から大正にかけての浪曲界三巨星で,京山派を大ならしめた功績は大きい。義太夫をよくしたので,関西芸の特色である荘重な響きをもつ曲調に定評があった。レコードの数も奈良丸とともに多く,《佐倉義民伝》《赤垣源蔵》《曾我兄弟》《勧進帳》など幅広い芸域を誇った。
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新撰 芸能人物事典 明治~平成 「京山小円」の解説

京山 小円(初代)
キョウヤマ コエン


職業
浪曲師

本名
吉田 松吉

生年月日
明治9年

出身地
広島県 尾道

経歴
幼い頃から義太夫を習い、浪曲師・2代目京山恭安斎に入門。初代桃中軒雲右衛門の武士道鼓吹に対し人道鼓吹と称し、会話も巧みで俗に三段流しといわれる息の長さと低音の関西節に定評があり、明治の末期から大正期にかけて第1期の浪曲黄金時代を築いた元老の一人。「赤垣源蔵」「佐倉義民伝」などを得意とした。

没年月日
昭和3年 10月30日 (1928年)

出典 日外アソシエーツ「新撰 芸能人物事典 明治~平成」(2010年刊)新撰 芸能人物事典 明治~平成について 情報

20世紀日本人名事典 「京山小円」の解説

京山 小円(1代目)
キョウヤマ コエン

明治〜昭和期の浪曲師



生年
明治9年(1876年)

没年
昭和3(1928)年10月30日

出身地
広島県尾道

本名
吉田 松吉

経歴
幼い頃から義太夫を習い、浪曲師・2代目京山恭安斎に入門。初代桃中軒雲右衛門の武士道鼓吹に対し人道鼓吹と称し、会話も巧みで俗に三段流しといわれる息の長さと低音の関西節に定評があり、明治の末期から大正期にかけて第1期の浪曲黄金時代を築いた。「赤垣源蔵」「佐倉義民伝」などを得意とした。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「京山小円」の解説

京山小円(初代) きょうやま-こえん

1876-1928 明治-大正時代の浪曲師。
明治9年生まれ。2代京山恭安斎門下。初代桃中軒雲右衛門(とうちゅうけん-くもえもん),2代吉田奈良丸とともに,第1期の浪曲黄金時代をつくりあげる。低音の関西節に定評があり,「赤垣源蔵」「佐倉義民伝」などを得意とした。昭和3年10月30日死去。53歳。広島県出身。本名は吉田松吉。

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世界大百科事典(旧版)内の京山小円の言及

【浪花節】より

…以後,春日井松之助を頭取(とうどり)とした〈東京浪花節組合〉,井上晴夢を取締役とする関西うかれ節組合〈愛国社〉とが設立され,浪花節は隆盛の一途をたどったが,とくに日露戦争後は,忠君愛国をテーマとすることで国粋主義の時流に乗って大発展をとげた。この近代浪曲確立期の推進力となったのは,桃中軒雲右衛門(とうちゆうけんくもえもん),吉田奈良丸京山小円(こえん)の三巨人だった。雲右衛門は,諸国放浪ののち,豪放雄健な節調を確立し,台本も整備し,《義士伝》をはじめとして演題も選択して,品位ある高座によって浪花節の社会的地位を向上させた。…

※「京山小円」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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