朝日日本歴史人物事典 「京極マリア」の解説
京極マリア
生年:天文11頃(1542)
キリシタン。浅井久政の娘,京極高吉の妻。熱心な禅宗の徒であったが,天正9(1581)年安土の教会でロレンソから40日間教義を学び,夫高吉と共に,オルガンティーノから受洗しキリスト教に改宗した。洗礼名マリア。数日後高吉が急逝したため,改宗を誹謗されるが信仰にとどまり,秀吉の側室となった次女・松の丸(竜子)を除く子女を信仰に導いた。長男高次の領国・若狭(福井県),次男高知の領国・丹後(京都府)で生活しながら熱心に布教し,晩年を「此御堂」という庵で信心のなかに過ごし,泉源寺様と慕われた。墓は兵庫県豊岡市の瑞泰寺。<参考文献>結城了悟『キリシタンになった大名』
(片岡瑠美子)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報