日本歴史地名大系 「人参方役所跡」の解説 人参方役所跡にんじんかたやくしよあと 島根県:松江市松江城下寺町人参方役所跡[現在地名]松江市寺町朝鮮人参の生産・販売を管轄する役所。通常は人参方と称される。天神(てんじん)川の北岸、誓願(せいがん)寺の南に位置した。朝鮮人参がわが国で栽培されたのは三代将軍徳川家光の時で、朝鮮から種子を求めて日光に移植したのが始まりと伝える。松江藩が人参畑を開いたのは藩主松平治郷の代であった。安永二年(一七七三)東津田(ひがしつだ)村で試作が行われ、翌三年に松江城内木苗方にも人参畑を起こして小村新蔵に栽培させた。津田畑は伊原甚右衛門に任せたが、収穫は十分でなかった。新蔵の子茂重も栽培に尽力したが成績は上がらず、文化元年(一八〇四)日光で栽培の秘法を学び、種子を得た。同二年に古志原(こしばら)村で発芽させ、同三年には一般農民にも栽培法を習得させたという。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by