日本歴史地名大系 「仁礼宿」の解説 仁礼宿にれいじゆく 長野県:須坂市仁礼村仁礼宿[現在地名]須坂市仁礼北国脇往還松代(まつしろ)通福島(ふくじま)宿で分岐してなぬり峠を越し、大笹(おおざさ)(現群馬県)・関東へ向かう大笹道の宿場。村北入口で須坂を通る奥地からの俗称大笹道(北国東街道とも)が合す。松代藩が設けた口留番所は、北に関谷(せきや)、南に浅間塚(あさまづか)(仙仁(せに)・保科(ほしな)へ至る道が分岐)に置かれ、この間距離約一・五キロ。問屋は浅間塚寄りの常盤に二軒、交代で務めた。関谷には食違い・水またぎ・枡形などの痕跡を残す。永禄九年(一五六六)八月武田信玄が仁礼口関守にあてた過所案(羽生田常雄氏蔵)に「鎌原築前守籾子一月馬五疋并人夫拾人之分、荷物無異儀可勘過旨」とある。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by