刑事事件について、検察官が客観的証拠資料に基づいて犯罪があると考えたときに、裁判を求める意思表示をいう(刑事訴訟法247条以下)。公訴権は、検察官が犯罪があると考えたときに行使することのできる裁判請求権であり、その主要な内容は実体的審判請求権である。公訴権を検察官が具体的事件について行使するためには、その事件について訴訟条件が完備していることのほかに、客観的証拠資料による嫌疑の存在を必要とする。公訴の提起に必要とされる嫌疑の程度に関して、判例は「起訴時あるいは公訴追行時における検察官の心証は、その性質上、判決時における裁判官の心証と異なり、起訴時あるいは公訴追行時における各種の証拠資料を総合勘案して合理的な判断過程により有罪と認められる嫌疑があれば足りる」としている。この程度の嫌疑もないのに、かりに検察官が故意または過失によって違法に公訴を提起し、被告人に損害を加えたとすれば、国家賠償の責任が生じる(国家賠償法1条1項)。このような嫌疑が公訴提起の有効要件であるか否かについては、学説上争いがある。積極説は、いわゆる「公訴権の濫用」の理論が適用される場合の一つであるとして、嫌疑なき公訴の提起に対しては、公訴棄却の裁判または免訴の判決を下すべきであるとする。これに対して消極説は、同一訴訟手続で実体審理とは別に嫌疑の有無を審査するのは、訴訟手続の動的性格からも、また起訴状一本主義からくる予断排除の原則からしても無理があり、この問題については無罪の判決で対処することができるとする。一般に後者を妥当とする説が有力である。
公訴の提起に関しては、第一に、国家機関である検察官だけが公訴を提起することができるとする検察官の起訴独占主義(国家訴追主義)が採用されている。第二に、検察官は、犯罪が成立し、しかも訴訟条件も完備していると認めた場合でも、公益上、訴追を必要としないときは、適法に公訴を提起しないことができるとする起訴便宜主義がとられている。そこで、場合によっては、公訴権の行使が検察官の恣意(しい)ないし独善に流れる可能性も考えられ、あるいは政治的事情によって左右されるおそれもある。これを抑制する制度として、検察官の不起訴処分に対する裁判所による審査制度(裁判上の準起訴手続の制度ともいう。刑事訴訟法262条以下)、および検察審査会制度がある。検察審査会は、検察審査会法(昭和23年法律第147号)により、公訴権の実行に関し民意を反映させてその適正を図るため、政令で定める地方裁判所および地方裁判所支部の所在地に置かれることになった。検察審査会は、検察官の公訴を提起しない処分(不起訴処分)の当否の審査をも行う。検察審査会が、起訴相当の議決をした場合につき、以前は、検事正はその議決を参考にし、公訴を提起すべきものと考えるときは、起訴の手続をしなければならないとのみされていた。しかし、2004年(平成16)の検察審査会法の改正により、検察審査会の起訴相当の議決にもかかわらず、検察官が再度不起訴処分とした場合には、検察審査会が再度の審査を行い、再度の起訴相当の議決(起訴議決)を行った場合には、この起訴議決に公訴提起の効果が認められることとなった。現行法は起訴便宜主義がとられているので、第一審の判決があるまで公訴の取消しが認められている(変更主義という)。第三に、起訴状一本主義がとられ、起訴状には、裁判官に事件につき予断を生じさせるおそれのある書類その他の物を添付し、またはその内容を引用してはならないことになっている。公訴事実につき裁判官の予断を生じさせないためである。
なお、公訴の提起が不当な場合につき、判例は、検察官の裁量権の逸脱が公訴の提起を無効とする場合がありうることを否定することはできないが、それはたとえば公訴の提起自体が職務犯罪を構成するような極限的な場合に限られるとしている。したがって、きわめて例外的に、不当な公訴の提起が無効とされる場合もありうることになる。
[内田一郎・田口守一]
国家機関が裁判所に対して刑事事件の審判を請求する意思表示。外国の法制では私人訴追の方式によるところもあるが,日本では刑事訴追はすべて公訴であり,国家機関の中でもとくに検察官がこれを行うものとされている(刑事訴訟法247条)。公訴を行う権限を公訴権といい,公訴権を現実に行使することを公訴の提起(起訴)という。有罪の証拠があり,訴訟条件が具備していても,訴追の必要性については,検察官に裁量権が認められている(248条)。公訴の提起により事件が裁判所に係属するが,その効力は検察官の指定した被告人および事件に限られる(249条。〈不告不理の原則〉)。公訴には時効の制度がある(250~255条)。
執筆者:長沼 範良
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…刑事事件の審判を裁判所に請求する意思表示。日本では,刑事訴追はすべて公訴であるから,起訴とは〈公訴の提起〉を意味する。どのような機関が刑事訴追の主体となるかは,国または時代により差異がある。…
… なお,現在でも,たとえば,労働委員会における不当労働行為の審査手続(労働組合法27条)や,公正取引委員会の審判手続(独占禁止法49条以下)などは,それぞれの行政委員会がその専門的立場から,ある程度訴訟に類似した手続構造をとって裁断を下すが,あくまでも行政機関による手続である点で訴訟とは区別される(行政審判)。
[訴訟と市民]
訴訟は一方の当事者(原告,刑事訴訟では検察官)の判決を求める申立て(民事訴訟,行政訴訟では訴え,刑事訴訟では公訴)があってはじめて開始される。判断者である裁判所が自分から事件を探して取り上げるようなことはしない。…
※「公訴」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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